時間とオメガと核変換

消滅処理の参考図
古い文献からの参考図

1. 時間について
911から11年が過ぎ時間は何かを解決したのかなと思ってみたり。時間でしか解決できないことの一つとして、放射性廃棄物。

放射性廃棄物の影響が半減する半減期は、放射性物質それぞれ異なっており、何万年や何億年にわたるものもあります。そのため放射性廃棄物処理は子々孫々にわたるまで影響を及ぼしてしてしまう。これが原子力に関わる以上さけて通れず、また、時間の流れとともに移ろう物理的に定められた宿命であると。

以前取り上げましたが、最終処分にあたっては地層処理といって、数百年数千年と放射性廃棄物を頑固な地盤の地中深くに埋没させることによって管理、あるいは、放置するという事が核利用をしている各国によって計画実施されつつあります。

が、左にあらず。時間しか解決できないと思われる事を、人智を持ってしてなんとかしてる事が可能であるらしいです。
それが、オメガ計画と呼ばれるもの。時計じゃないよ、都市伝説だよ、とも思っちゃう命名ですが、国主導で計画されていたたいそうまじめなプロジェクトです。(じっさいは、現在進行形なのですが、とんと話を聞かないのです)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オメガ計画

2. オメガ計画っていうか、そもそもなに?
具体的にはどのような計画であるかというと、放射性廃棄物を分類し、有用な物質を取り出し、また、超寿命の核種を物理的操作を加える事によって、短寿命の物質に変換させることによって、廃棄物量を削減し、また、社会に与える悪影響を減少させる技術を開発し実用化しようとするものです。

そんな事できるのか?という疑問が湧く訳ですが、そもそも原発でエネルギーを取り出す操作は核分裂反応を利用しています。すなわち、ある物質を違う物質に変換しています。この結果として、質量数235から統計的な分布にそって、ストロンチウムやセシウムといった質量数の異なる物質が生成されています。

素朴な発想として、結果としてでてきた放射性物質をもう一回分裂させるなり何なりして別の安定した物質に変換する事はできないのだろうかと考えます。このことを核破砕反応と呼び、その処理を核変換処理と呼びます。また、こういった処理は消滅処理とも呼ばれていたのですが、ちょっと言い過ぎじゃない?ということでこう呼ばれています。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=05-01-04-02

より詳細に説明すると、原子炉内の燃料が燃えつきた使用済み燃料由来の高レベル放射性廃棄物は大きく二つに分けられるそうです。一つは、核分裂性生成物。これは、ウラン燃料等が分裂した事によって生まれる物質です。もう一つは、マイナーアクチノイドと呼ばれる物質で、ウランやプルトニウムが中性子を取り込み崩壊する事によって生じます。

これを実現するにあたって、例えば高速増殖炉を使った方法や加速器を使った方法が検討されてます。どうやら、核物質もどうにか処理できるんでは無かろうかと思えてきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/原子核変換

3. 夢のような技術、で実現は?
この処理を行うにあたって、高速増殖炉をつかって中性子を得ようとした場合、臨界状態になるため原子炉稼働になります。また、ナトリウムといった反応性の高い物質を冷却剤として使い、まだ実用化にほど遠いのが現状。
また、加速器を使った処理を行うには、陽子を加速するなどするには、それ自体で莫大な電力を使うので、その発電はどうするんだ?みたいな状態になります。また、概念設計では液体ウランをつかう、陽子がばんばんあたる、といった環境の中を耐える材料というものがまだない、という状況です。
研究は進んでいると理解できますが、実用化のめどはほとんどたっていない、というのが実情でしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/加速器駆動未臨界炉

4. しかしながら
以上の状況から、やはり現実は放射性廃棄物と共に暮らすというのはやはり変わらない状況です。また、昨今のエネルギー政策では、今後の原子炉の稼働期間に制限を付け新規配置は行わない、とするとか。さらに、日本学術会議という、学術経験者や有識者からは、放射性廃棄物の何万年にもわたる地層処理はどうなるかわからないのでやめたほうがいいよ、と提言されたそうです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120909/k10014891591000.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG1003J_R10C12A9EB1000/
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-k159-1.pdf

危険性があったことは認識済みで運用してきたにもかかわらず、自然エネルギーへのシフトなどのエネルギーの問題に誘導しようというのが個人的には納得がいきません。問題は安全の回復であって、原子力から撤退することで、核廃棄物処理の技術開発からすらも撤退する結果になりはしないかとハラハラしています。廃炉する方針であるならば、廃炉に伴って生じる核廃棄物の処理について、最大限何ができるかを同時に検討する事を織り込まないと話にならないのでは。

また、日本学術会議からの提言は、政策の検討をするにあたって、ようはコミュニケーションをとりましょうということなってます。ところが、原子炉を止めて研究できるかといったら有力な中性子線源となる原子炉を止めるわけには行かないし、加速器の電力を火力や自然エネルギーで十分まかなえるのかと行ったおそらくまかなえないはず。本来は放射性廃棄物処理の研究のためには原子炉必要と言わざるを得ないのでは?と思います。が、そうは言えないのではなかろうかと伺えます。

5. だからこそあえて反脱原発なのでは
そうすると、あまのじゃく的ではありますが、やはり、ここまで原子力推進をすすめ、そして福島の事故を経験し、かつ収束処理まで手がけるようになってしまった日本は、世界に対してどのようなスタンスを示すか正念場だと考えてます。
だからこそ、人類が手をつけてしまった原子力とそれに伴う核廃棄物処理について、真剣に問題解決をしようとする姿勢をしめし実行するべきなんじゃないだろうかと考えます。私は商用原子炉の大部分を止めるとしても、本質的に脱原発には反対します。もはや抜けれる訳が無いだろうと。

発電という利得を求めた技術開発から、人類の安全を守るような強固な技術開発を進めるべきでは無いだろうかと思います。よって、武力や経済利得といったパワーを求める核技術から、核のパワーに立ち向い安全を確保する技術開発に国力をつぎ込んではと。ちなみに、昨今話題になる東アジア情勢ですが、大規模な加速器等の実験施設を運用しているのは東アジアでは日本がやっぱりダントツ。国際的に名誉ある地位を保たんとするならば、こういう戦いかたがあるんではなかろうかと。

などと熱くなりますが、いかんせん、調べものの結果みつけた加速器でかい!かっこうぃい!という単なる男子的発想なのかも知れないと思いつつ。しぶとく11年も1年半も過ぎる時間に思いを馳せる秋の夜長です。

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