良いお年をということで振り返ってみますと2012年10年前にもおなじように良いお年をという投稿をしていたのですが、当時の投稿を読んでみると日本航空123便の御巣鷹山墜落事故についての投稿で、先日この事故について議論する機会があったことと感慨深い思いです。
さて、2022年もまさかという事件・出来事があったかと思います。あまり考えてなかったけどせっかくなので考えてみる個人的な所感のメモ。ただの酔っぱらいの戯言でもあります。
ロシアのウクライナ侵攻
まさか、という思いで、侵攻当日は仕事後帰りの駅で一報に触れた記憶です。
環日本海文脈において、ロシア、中国、韓国との関係性の重要性から東アジアのロシアも踏まえた平和的関係が望ましいというスタンスをもっており、ウラジオストクやサハリンに訪問した経験があります。一時的に融和的な関係さえ見え隠れしたロシアではありますが本性をみる思いでまさにおそロシア、という心持ちです。
この決断を行えるのは現在の体制においてはプーチン氏であり、その人となりが昨今どうなり、そして今後どうなるかが、来年以降の動向に影響するものと考えます。
そのプーチン氏、最近ではプーチン氏の実像に迫るような映像はニュースではみられませんが、オリバーストーン監督の、プーチン氏インタビューのドキュメンタリーは今年に入ってネット配信があったのでみています。この中では、一貫してロシアの立場の妥当性を説明しており、ある意味ではまんまとプロパガンダの片棒を担いでいるようにもみてとれます。
ただ、個人的にはその内容の善悪や良し悪しはいったん脇に置いておいた上で、インタビューに応える明朗な説明やロジックの組み立て方は、やはり凄みを感じます。これは日本の政治家では絶対にできないですし、欧米の民主的なプロセスで選べてきた政治家とも異なった圧力を感じさせます。
独裁者として、権力がわがままと一致すること、また、一方においては国家意志が己の我儘と一致するような体制であるからこそ、この物言いができるのではなかろうかと思います。
安倍氏銃殺
これもまた、日本で銃殺など全く想像だにしていない事件。
真っ先に思い出されたのは、沢木耕太郎氏のドキュメンタリー、浅沼代議士刺殺をテーマにしたテロルの決算と、これもオリバーストーン氏が取り上げていたジョン・F・ケネディの暗殺。
作品の内容はもはや記憶の彼方にはあれども、事件後の調査であきらかになった犯人というものも個別性と、一方でその機運を醸成できてしまっていた社会についてです。
銃殺犯人の個人の恨みによって、殺害の行動を取るというのが、なんともまだ理解できない部分があります。
これは微妙な問題ではありますが、犯人個人の過去現在未来への決算をつけるということであれば、成功云々は実はそれほど重要でななく、行動を起こすことそれ自体がまずは重要であろうと思います。
その上で、確実に相手を殺害することを意図した場合に、果たして手製の銃を選ぶのかどうなのかは、これも個人的にはなんともわからない部分。
今回の犯人については、かなりの至近距離で犯行に及び、およそ逃げることを意図しているように思えないため、成否に関わらず行動の結果はどうでも良かったのではないだろうかと。なので、致命傷になったというのは、本当に確率論から言ったら低い結果が表に出たと思います。
これはなにかというと、ケネディ暗殺の犯人はオズワルドとされていますが、少なくとも犯行直後には捕まっておらず、また、発砲時刻以降に食事の目撃情報もある。この事件は必殺を意図しておきながら、調査結果からはかなり確度の低い犯行方法で暗殺が行われたように思います。
走行中の車両を狙撃するのは、結果として成功したことになっていますが相当困難ではないかと思います。なので、必殺を意図するならば、車両に爆発物を仕掛けるなどすると思います。必死であるならば、犯人は捕まることもやむなしでことを起こすはずですが、この事件においては結局単独犯行説をとっていますが、確度の低い方法であるし、また、犯行後に逃げており、安倍氏殺害の犯人とはまた思考が異なっているものと対比的に理解できてきます。
ただ、また安倍氏殺害の犯人について解せないのは、宗教に恨みがあるなら、宗教側に対して恨みを晴らすべきではないだろうかということも考えます。この辺りの機微についてはよくわからないのですが、であるからこそ、個人的には陰謀説が生じてくるのではないかと考えるところです。
そして陰謀論について
御巣鷹山墜落事故にもどるのですが、国や組織が背後にある場合、個人の行動や意思とは超えた大規模な事件や事故については因果関係や利害関係が複雑であることから、なにがその悲劇をまねいたのか簡単な説明がつかないのだと改めて考えます。
ここで陰謀論が生じる余地があり、IFの世界が描けます。
個人的には、陰謀論の一部は実際にはあえるえるのかもなーと思いつつ、専門家が専門的に議論した内容が信頼されれれば克服されうるものでもあると考えます。
しかしながら、コロナ禍やtwitter社のエコーチャンバーのアクセラレーションの問題、ネットでの情報流通によって、専門家の権威は一般市民の知見知識と相対化されており、言論は論理ではなく雰囲気や心地よさに流されてしまっているのではないかな、、、とここまで書いてくると考えられます。
現時点における正しさや確らしさのジャッジについて、専門家の権威をどう高めていくかが望まれるのではないかなぁということと、集合知によるより正しさや確らしさの検証の拡張もあるだろうと思います。
その上で、残ってくる謎や疑問というのが、より確かに、よくわからん、と議論しあえる世の中にできればいいなぁとおもいまして、今後の抱負といたします。
参考
日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説
(配信直リンクだど絵が出ないのでディスクにリンクしてます)