具体と抽象と中腰

普通に日常生活を営んでいると、抽象的思考をどんどんしなくなっていくのかなぁ、と最近考えるので、抽象的思考について考えます。自分自身が抽象的思考が得意なのかというと、なかなかそんなことないな、と思うので、それもまた悩ましいところです。

なぜ抽象とか具象とかが脳内フックに引っかかったのかというと、一つは、「抽象的思考」というものが、どうやら社会において価値を置かれる側面があるらしいぞ、と思った事。もう一つは、デザインとプログラミングおける抽象と具象との関係について、しばし考えることがあったから。

具象的

抽象的

ことばからスタートすると、抽象それ自体を説明するのは、抽象でないことから始めるとわかりよいのではないかということで、まず反対語から。抽象の反対語は具象。具体的なこと。実体を備えて固有の形態をもっていること。また、そういう形、と辞書に書かれています。だからなんだと頭を抱えてしまいますが、中身が詰まっていて識別できる状態にあることだとおもわれます。

例えば、美術の領域では抽象画と呼ばれる絵画形式があるのと反対に、具象画とよばれる形式があります。具体的である以上、人物や風景が描かれることによって、見る者が表現している対象がなんであるのか、明確にわかるということになります。一方、抽象画はなんだろうこれ、といったようで、指し示している対象が明確でなかったりします。

具体的に話せば、、、といった具合に話を切り出すことがありますが、これはたとえば、何をどうしてという事を詳細にお話をすることかと思われます。完結に話せよ、という場合は、お話を抽象化して結論から話をし、制限内で必要な情報を伝達する、ということになります。

これら具体的である事と抽象的であることがどちらが優れているとかいうことはないと思われるのですが、どうやら抽象的である事に価値があると思われるのは、抽象的であることは、汎用性が高いのではないか、と思われます。

抽象的であることが汎用性が高いとは、先ほどの絵画の例ですが、具体的な対象を描くということは、その対象が持っている具体性を伝えるものとなり、絵画の価値というものが、その描かれた対象の価値と直結すると言えます。美しいモノを描けば美しくなる可能性が高いし、そうでなければそうはならない。

一方、抽象画は概念(あるいは観念でありますが)を絵画として表現したものであって、その概念の美的な構造や特徴を端的に表現することで、例えば美しさを伝えることができるかもしれない。その概念は、例えば色彩の美しさかもしれないし、形象の美しさかもれない。その類的構造は普遍性が高くなる可能性が高いと言えます。

つまり、抽象的に思考するということは、一つの概念によって、様々な事象をとらえるという、まことにエコノミーな思考であるといえます。
ここで翻って、ビジネスにおいては、最小資源で最大効用を挙げたいのが理屈ですので、抽象的な思考によって、難しい問題を簡単に解決するという、ビジネスの本質となるのだなぁと考え至わけです。

しかしながら、なぜ人は抽象的に思考できないかというと、ひとつは抽象化することが面倒なこと、また、抽象は人と共有することが難しい場合があることかなと思います。

抽象化することが面倒なのは、目的が無いと抽象化できないにつきます。美しさを抽象するには、何が美しいのか、また、美しさはどういう点なのか明確にしなければ、複雑な具体の世界から特異点を残せず、不要な部分を削げなくなってしまいます。すなわち、明確な意志の力が必要な作業となります。

また、抽象が人と共有する事が難しい場合があるということですが、これは上記の抽象化の過程において各人が抽象として切り取った概念、その生成の過程が不明であるので、時として抽象化の意図が理解できないことが生じえます。そのため、抽象的でよくわからない、と言われる事態が発生しうるわけです。へぇ、たくさんの線がならんでますねぇ。。。という現代美術作品とかに往々にして生じる現象かなぁ、と。

以上のように抽象から具体にモノゴトを適用する場合、また抽象に圧縮された何事かを具体的に展開しなければならないという事になる訳です。この側面では、抽象的思考だけではなく、やっぱり具体的思考および行動に価値があるというフェイズになります。細かいごたごたが気になっちゃって抽象的なことまで考えがおよばないよ、ということでも、価値は当然ありますぜ!という展開でもあります。

さて、ようやくプログラムとデザインの話です。プログラマではないですが、プログラム的な何かを書くときには、抽象化の作業が重要です。
簡単なところですが、何かを変数として何かの処理を行う、という点で、まず抽象化が必要。で、ある言語だと変数の型が決まっていて、何を入れようとしているのかを、具体的に考えなければいけない。一方、ある言語だと厳密に型が決まっていないので、なんでもかんでも変数に突っ込むことができる。
それらの抽象度が高いのはどっちだ?という議論は難しいのですが、動けばいいという結論には違いがなかったりします。そういう意味では、抽象度が高い作業だなぁと思います。

一方、そのプログラムを受けてデザインをつくる場合、抽象的なプログラムを具体的な世界に結びつける作業がデザインの役割になったりします。ほとんどカタチのないプログラムに対して、人が理解し得るボタンやアイコンをつくるにせよ、四角や丸という抽象的なカタチからどこまで具体的なカタチにするか、あるいはしないかという判断は難しいです。

個人的には、点と線だけでいいんじゃねぇか?と思ってみたりもするんですが、それは抽象的すぎて情報の解凍ができなかったり。なので、より具体的な方向の絵をつくるために、ちょっとラインを加えたり、色をちょっと替えてみたりで印象が変わったり、そういう具体的な積み重ねがなんだかだいじだなぁと思ってみたりもします。

抽象も大事だけれども、具象も大事。このどっち着かずで中腰で耐える、というのが、デザインらしさだと考える次第です。

(という文章を書いて、長い文章かくなら、A < D < Cとかでいいんじゃねぇか、などと、長文失礼いたしました。)

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