デザインと医学とアイソタイプ

Tokyo metropolitan. Age groups and COVID-19 confirmed cases
Tokyo metropolitan. Age groups and COVID-19 confirmed cases.東京都の世代別年齢構成と2020年5月9日でのPCR陽性数(COVID-19の感染者数)をアイソタイプの考え方で絵にてみました。

ひょんなことから調べもの中に新型コロナウィルスに合わせたネタが出てきたためのメモ。アイソタイプ(ISOTYPE)について。デザイン作業の事前研究として絵文字について調べていたところ、そういえばインフォグラフィックとかあるなと思い出して、検索したところ、新型コロナウィルス COVID-19関連で、医学領域でもISOTYPEという言葉が使われているということで驚きまして調べものです。

デザインにおけるアイソタイプについて

オリンピックは延期になっちゃいましたが、日本では1964年の東京オリンピック時に整備されたピクトグラムが取り上げられたり、みんな毎日リモートワーク、ということでコンピュータのGUI設計におけるアイコンなど、グラフィカルに情報を伝達する手法がデザインとして認識されています。

図的に事物を表現することは古来より行われてきたのですが、これに数学・科学的な数量的な表現を目指した近代の取り組みとして、オットー・ノイラートさんのISOTPYEが業界では知られています。

ISOTYPEというのは、International System of Typographic Picture Education の略で、国際的かつ教育的な意味があります。そのため、ピクトグラムやアイコンは表現、指示する事柄を表します。その上で、ISOTYPEの概念と目指すものは統計情報などを視覚化し、比較や経緯を表し、学びに繋がる試みでありました。

この、図と図との関係をグラフィカルに表現することは、文章によって表現するよりも直観的であるために、理解しやすさや教育効果が高いものとなります。また、Internationalといった国際的な試みとして、言語や文化によらず、普遍的なコミュニケーションや情報共有にも図解が役に立つため、いわゆる表やグラフを読み解く言語的なギャップを減らせることも、アイソタイプの概念では重要なポイントとなります。

アイソタイプ | 現代美術用語辞典ver.2.0 – アートスケープ

なお、調べものをしてると、オットーノイラートさんのアイソタイプについて書かれた本がありまして、こちらから原書が読めます。インターネット素晴らしい。

International picture language (1936 edition) | Open Library

医学におけるアイソタイプ

一方、アイソタイプをネットで検索をすると、抗体の種類として、アイソタイプという言葉が使われていることがわかります。抗体とは、人をはじめとした脊椎動物が持つ細菌やウィルス等の病原体に対して、それら病原体を排除する免疫システムにおいて、病原体を識別することに役立つ体内で生成されるタンパク質となります。

この、抗体は、その構造の違いから種類が分かれており、ヒトの場合は5つのタイプがあり、違いをアイソタイプと呼ぶそうです。

抗体が病原体を見つけると、くっついて無害化したり、他の免疫系を助ける役割を担うとともに、一度出会った異物を覚えて、次出会ったときに対応できるように体はその異物に合わせた抗体の産出を増やして備えるそうです。

さて、報道でもCOVID-19でも抗体検査がPCR検査と並んで議論されているようですが、この抗体検査によって主にアイソタイプの異なる、IgMとIgGの検査をするそうです。

IgMは、感染初期に、抗体は最適化されていないけど、とにかく対応するぜ!と産出される抗体だそうで、IgGはその後に、おそらくは当該ウィルスによく適合するよう生じる抗体とのことです。

コロナウイルス感染症と抗体検査・PCR検査 | MBLライフサイエンス

IgGが検出されれば、COVID-19に対する抗体ができたといえるので、再感染しないのではないか?と言われているそうです。なお、ウィルス感染に対して、基本的には免疫の働きで体内のウィルスを増殖させない、その結果重症化させないということが治療方針となろうかと思います。PCR検査は、ウィルスそのものを検出する技術だと思いますが、それ自体では治るとか治らないとかは議論できないわけで、かつ、PCR検査で陽性であっても、抗体を備えているからそもそも感染(というか発症)しない、ということはいえるのかと思います。

そして集団免疫というのも議論されていますが、このCOVID-19に対する抗体が集団内で一定数存在すれば、仮に抗体を持っていな人がいても、抗体を持つ周りの人に移ってもウィルスが増殖せず、自然に収束する状態になるということで、ウィルスがなくなるわけでも感染しなくなるわけでもないのは注意が必要です。

医学とデザインをアイソタイプ的に融合するのと思うこと

以上の調べもので満足はしちゃった部分はあるのですが、せっかくなので、冒頭に貼ったようなISOTYPEの考え方で、東京都の世代別人口と、世代別のPCR陽性数の図解をつくってみました。

データはこちらから取得しました。

東京都 新型コロナウイルス陽性患者発表詳細 – データセット – 東京都オープンデータカタログサイト
東京都の人口(推計)トップページ

人口に比して若年の感染程度が言われているようにやや高いようにおもわれるので、この世代の人がアクティブになるとなかなかヤバイといったみえかけになっています。

なお、他にも、都道府県の人口密度や死亡者数などでも分析を行ってみたのですが、北海道が突出する計算になったり、思いがけない県がヤバそうであることがわかり、意味がありそうか考える次第に。

そして、本を読んだりする限りでは、デザインにおけるアイソタイプは簡単そうに「見える」のと、意味がありげなのですが、一方でデザイン制作をするにおいては、

・どこまで正確に表現するか?
→人数の切り上げ切り捨てとアイコンの見せる割合の関係が難しい

・比較する事柄は正しいか?
→そもそも人口構成と陽性数を比較することにやってみてやや無理があるのでは、と思った次第

・全体を意識してから始めないといけない
→たとえば、ピクトグラムをどれだけ並べられるかを事前に計画しないと破綻する。そのため、時々刻々と変化する事柄を更新する手法としては、思想としてのアイソタイプだけではなく、別のグランドデザインが必要。

など、デザイナーの恣意性が多分にはいっているのと、デザイナー一人では難しい作業でもあるぞ、と思い至りました。

サイエンスの視点とデザインの視点で作り上げていくという「プロセス」にインフォメーションデザインは必要とおもいました。一方で、COVID-19に関しての各種報道やデータはデータの比較は解釈が直観的ではなかったり、関連情報と並べないと意味がないデータが一人歩きしているのではないかと、作業をしながら改めて思った次第です。

一方の医学や科学には、このような状況下で、誰もが納得できるような基準や指標をグローバルに共有するには、いろんなチームの中で、これはデザイナーの役割の余地がありそうですよ。

他の参考文献

感染症とは?がざっくりわかって面白いのと、マスクの効用について議論されていて興味深いです。欧米や中国語の発音で飛沫が飛びがちではという議論は今となってはなかなかたいせつな議論です。

結果的に英語読んだ後にとどいたので、読み解きと翻訳があっていたり、ああ、そういうことが言いたかったのねと答え合わせしました。BASIC ENGLISHの紹介や図表とか付録的に豊富でみていて楽しいです。ただし、ちゃんと読み解こうとするとこれは大変な作業が待っていそうです。


“お時間”が必要 / 直感の自信

アートと音楽
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あけましておめでとうございます、というか、寒中お見舞い申し上げますな1月終わり、思うところあり美術館にいってみるなど。

東京都現代美術館で「アートと音楽」という展覧会をやってます。来週末で終わりということなので、そういえばということで久しぶりに足を伸ばしました。

結果、超絶かっこいい!とおもっていた池田亮治さんの作品をまた観れたのが収穫。数年前に同じ東京都現代美術館でやっていた展覧会に衝撃を受けた記憶がよみがえりました。

とはいえ、思うところありいった美術館ですが、そこで思うところは、美術館はやっぱり音楽を鑑賞する場所ではあまりないな、、、ということ。そういうことをまず考えます。

一般に音楽が時間によって得られる芸術である一方、絵画は空間によって得られる芸術であるためがまず思い当たること。もちろん、音楽はその音場・音場によって音がどう感じられるか、また、絵画は時を経ることによって生じる変化によって得られる事柄があることは事実。

しかし、美術館では、主に観るものを納める箱として機能しているため、Aという部屋でBという音楽を、あるいはXのとなりにはYという音楽を、という展示がなかなか難しい。また、それを実現しようとすると防音室をいくつも作るのか、とか、ヘッドホンを使うなどになって、美術館の建築形態では対処できない、どうもぎこちない感じになってしまうようにおもいます。
言い換えると、絵画なら、見れば見えるし目を閉じたら見えない、一方、音って、耳を塞がない限り文字通り耳に入るんですが、意図して耳に入れるというのが大変だなぁと思うのも、展覧会を通じて感じたことの一つです。

そういう意味では、音楽を空間に釘付けにするという試みがすなわち芸術なんだろうということが考えられます。その結果、視覚的に興味深いのは、音の絵画化や新しい楽譜の試みだったりしました。
現代においては録音技術があるために、音そのものの再現は決して難しくはなくなってきています。しかし、楽譜といった記号にもどづく音楽の伝達は、指示している音と指示された結果が果たして一致するのか?というのはまた別の次元の話であり、そもそも音楽というモノが過去から未来へと受け継がれている事実に対して、実はすごいことなのではなかろうか、という気持ちになります。

デザインの観点からは、図面やデータに基づいてモノが出来上がるというプロセスに似ているな、ということ。例えばコンピュータのデータはデータを再現して記号を認識するという意味においては同一ではありながら、データが物理的なモノになる、例えば年末に印刷するような年賀状というのは紙やプリンタといった印刷状態が異なれば異なったものになります。
同様に、音楽も構想するということと再現するということについては全然別の次元のアートが存在するし、その違いに対して新しいアイディアや観念が生じることに面白さがあると考えます。

だったら指向性スピーカーや音場のコントロールによる空間と音との関係でできる音の世界を作ってみたいなぁ、などと妄想する展覧会でした。また、音楽と映像などが関係する作品は空間がないとできないのが痛し痒しでそれに適した芸術館的な公共建築を期待しちゃいます。

そもそも芸術としての音楽とアートとの関係を考える、なんてことは日頃の生活をしている限りほとんどあり得ないことなので、そのトリガーがとして展示があるだけでやっぱり新鮮な気持ちになりました。

2月3日までなので、お時間あるかた(ほんとに”お時間”が必要なので)はオススメの展覧会です。

で以下は、おまけみたい、ではありながら、!、と思うことです。

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NO NUKES 2012, UST, Logo

NO NUKES 2012 2日目に行ってきたよっと。そもそもイベントがあるとは直前までしりませんでしたが、デジステ平野さんのtweetで告知あり、これは行かねばと直感に従い幕張メッセに。NO NUKES 2012は7月7日と8日に幕張メッセで行われた脱原発のメッセージ発信のイベントです。

前日は渋谷で反原発デモ行進と出くわしていたので、そういう感じなのかな?と思っていましたが、モダンなライブフェスの様相で何とも不思議な感じ。そうそうたる方々がステージでパフォーマンス。

個人的にはacidmanさんが好きなんで、前線での戦い。緩急のある選曲。でも圧巻はやはりBRAHMANさん。Thoshi Lowさんは真剣に地震や原発の事考えているのだなという事が伝わってくるパフォーマンスとMCで真っ昼間ですが大盛り上がり(だったはず、こちらも前線にいたので後ろはよくわからず)。カッコウィイ。思わず手を合わせてしまう始末と衝撃。終わったあともブースで黙々と協力をあおぐパフォーマンスをされていました。合掌と後悔と。ああ、進んでらっしゃる!

 

以前、サヘル・ローズさんや伊勢崎さんの対談とかで思ったのですが、チャーミングに世の中を変えようという考えかたに通ずるとおもうのですが、なんだかもじもじするんではなく、すかっとしたイベントだなぁとおもい、参加して本当によかったと告知をしていただいたことに感謝。

さて、もどってから、USTでも中継をしていたということで見てみると、双葉町の井戸川町長と映画をとった舩橋監督とのトークライブがあるということで見てみると、被爆量検査が十分に受けられないとか、根拠の不十分な言論が流布されているとかといった、全然しらなかったことが伝えられていました。こちらも知らないことで、驚愕。こういう事を同時に企画してできるということに、このイベントのすごさを感じた次第です。知らないではなくて、知っていかなければならんぞこれはという思いを新たにしました。

話は前後しますが、やはりちょっとライブイベントを通じて、デザインという領域においてこのままではいかん!と思った事が発起人の一人である坂本龍一さんのYMOのパフォーマンスでありました。ステージ後方のスクリーンに東京電力のロゴマークが登場した瞬間に歓声があがりました。現在、東京電力というのはそはある意味では憎むべき対象となってしまっているということはあるなと感じざるを得ないです。

法人としての東京電力の対応は問われるべきであるし、非難されるべきだと考えます。しかしながら、働いている人全員を非難したり、対話するチャンネルを閉じてしまうことは問題解決にならないとおもいます。なので、拒絶するとか排除するではなく、冷静に批判したり対話をするというスタンスは忘れてはならないと思います。

また、ロゴデザインはグラフィックデザイン会では高名な永井一正さん。現在、東京電力のロゴは災禍のシンボルのように扱われるのは心外であろうとおもいます。しかしながら、大きな企業や組織のロゴデザインというのは、良いにせよ悪いにせよ、そのような責任を必然的に負ってしまうということです。カタチという一目で理解できてしまうコミュニケーション形態である以上、世論によってシンボルの意味するものが変わってしまうことを全く理解した瞬間でした。

故にデザインは恐ろしいです。それだからこそ、デザイナーはデザイン対象と真っ向勝負しなければならないと背筋が凍りつつ伸びる次第です。その姿勢、真剣さとか、しなやかさとかチャーミングさとか、そういうもの。USTの平野さんをみると、ほんと伝わります。ぜひ、ご覧ください!

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