漢字文化

中国に行ってきました。いろいろと思うところはあったりしますが、まずは非常に関心を寄せてきた中国における文字とデザインについて。

中国語というのは、知っているようで全然知らない領域の一つだと感じてきました。
印刷物のみならず、今日においてはWebを通じていろいろな言語と触れる機会があります。当ブログにおいては、キリル文字(Кириллица)のスパムに悩まされたりしますが、、、。
同じ漢字文化ではありますが、何となくグラフィックの印象が違ったり、日本語や欧文の表現とは異なった文字の表現方法が有るようです。

まず整理として、中国語にも簡体と繁体があります。簡体は中国本土で使われ、繁体は台湾や香港、マカオなどで使われるそうです。

で、今回は、「字体設計基礎」なる本を入手しました。出版社は人民美木出版社というところ。中国中央電視台の放送大学みたいなものの教本みたいです。

ちなみに、書店で入手しましたが、面白いなとおもったのは、illustratorなどのDTPの本というよりも、手書きのタイポ作成の本も結構ならんでおり、実際には日本のようにでっかいプリンタで看板製作をしたりするよりも、まだまだ手書きによる製作作業が多いのではないかと推察することができました。

さて字体なのですが、日本におけるいわゆる明朝体のように永字八法の見えをする字体は、中国では宋体と呼ばれています。

次に、ゴシック体は黒体、丸ゴシックは圓黒体と呼ばれます。圓黒体は、細いウェイトのものは幼圓体とも呼ばれているようです。
(これらの漢字を入力するのがまた大変です。。。)

以上が基本の書体のようです。

欧文の場合、セリフ体とサンセセリフ体が基本となり、スクリプトといった欧文書道書体があります。丸ゴシックは、実はあまり欧文書体にはない書体だったりもします。

さらに、日本ではみない、みるとすれば、学生運動の看板か?みたいな表現。興味深いです。ま、意味もけっこう厳ついです。

思うに、漢字ばかりであるので、文字面に丸みが出しにくい印象です。アルファベットや平仮名は、文字面を白くつくったり、丸みのある印象を与えます。

だからこそ、いわゆる”書道”というのが本当に豊かな表現だなーと考えさせられます。

そして、「大地の子」、読み進めてます。こちらも興味深い。。。


ジョン・ラスキンであぐねる

ジョン・ラスキンの著作を読み、考えあぐねてなかなか更新できていませんでした。さらに、図書館で本を借りたため、手元に本がなく想像でモノを書くかたちです。

さて,ジョン・ラスキンとは何者かといいますと、1819年生まれのイギリスの評論家・美術評論家とWikipediaには記載があります。日本はまだ江戸時代だったり。美術評論家ということで、デザインとの関係があるとともに、モダンデザインの始まりとも言われるウィリアム・モリスに影響を与えたらしく、デザインを考える上では重要なのでは無かろうかという予感です。

読んだ著作は、「この最後の者にも・ごまとゆり」というタイトル。これだけだと何のことだかわからないのですが、まずは、「この最後の者にも」というのは、マタイによる福音書の一説で、ぶどう園で働く労働者を雇う主人のお話。この主人は一日につき1デナリオン(当時の通貨単位)で、朝早く労働者を雇い、昼にも雇い、そして日暮れ間際にも雇います。ところが、朝早くから働いた者にも最後の者にも同じ賃金を支払うので、最初に雇われた者が不満に思うというお話です。

そりゃそうだと思う反面、説教として解釈するならば、最後の者は我々で、そういう者でも救ってくださるのがイエス様ということになるそうです。

そういう考え方もある一方で、ラスキンは何を考えたかというと、労働価値を考えるのではなく、モノが有する価値について考えたのでした。特にここではデザインをやるということについての価値についてほんのり考えます。

ラスキンは文中で、蹄鉄をつくるのが上手い職人にも下手な職人にも同じ賃金を支払いなさい、と勧めています。ちょっと聞くと、どうかと思うのですが、これをラーメンで考えるとわかりやすい。注意をしなければならないのは、蹄鉄に対してお金を払うのではなく、職人の労賃についてお金を払うということです。

ラーメンがおいしかったら、そのラーメンには高いお金を払ってもいいというのが人情でしょう。一方おいしくなかったら安くていい、というのは、実はそうでも無い話であります。いくら安くても、まずかったらいくらもも喰えないし、そもそもおなかがいっぱいになります。

同様に、蹄鉄にしても、当座必要なモノがあればよいので、その場の上手下手はしょうがない。でも次の仕事は無くなるということになります。で、ここにいたり、最終的には、一番技能のある人に仕事が集中し、技能の足りない人は淘汰されるということになります。
そして、素朴な態度として、現実的にはそうならないように、それぞれの人が創意工夫をして仕事をしていく、という結論に至る、とも言えます。
そしてすべての仕事は芸術としての営みとして豊かな生活へといたるのではないかとラスキンは考えたのではないかと私は解釈しました。

もちろん、仕事を消費する者、説話における主人が存在するという構造があるわけでそれはそれで文化的背景として、芸術はすべからく神へ至る仕事であるという関係が有ったりするのではないかと推察はできます。あるいは中世の王侯貴族、産業革命以降の資本家であったり、現代の金融資本家であったりするのかもしれません。そして、デザインと芸術との境が曖昧まだ曖昧ではありますが、その上で、ラスキンが生きた時代の150年後の私たちの芸術が捧げる先きはなんであるのか。この問いを持つことはよくわからない世の中にとの対峙の仕方としてあり得るのではないだろうかとおもいます。

私は時間という矢に興味があったりするのですが、ちなみに、この本、後半のごまとゆりは、本を読め、そしてそれも古典を読め、と勧める内容です。
モリスの仕事も、本の装丁を行うことであったりと、考え直してみるとおおっつ、と探求心をかき立てられる内容であります。とりあえず、もう一回読んでみよう。


近況報告と、これから

先日、大学院の学位を取得いたしました。

本来ならば、皆様に直接御礼申し上げなければいけないところですが、引越準備でばたばたしてしまい、結局引越を迎えてしまいました。改めて時間を見つけては、御礼行脚の旅に出たいと思います。どうかご容赦を!

まずは、指導を頂いた先生方を始め、研究やデザインにコメントを頂いた方々、また、支えていただきました家族に感謝申し上げます。

今後はIT関連企業でお世話になります。私という、よくわからない人物を採用いただくということで、ありがたいと思うと同時に、しゃかりきにがんばりたいと思います。
こちらは、ちょーすごいiPhoneアプリを開発している企業ですので、お話できる範囲で紹介できればと思います。

さて、学位取得と就職にあたって、研究室と事務所の方々に激励会を開いていただきました。久しぶりに多人数でがやがや食事ができたので、本当に楽しかったです!改めてお礼申し上げます。プレゼントは、速攻使い倒したいと思います!ありがたい!

さらに、机下でいろいろと勉強・研究・経験させていただきました川崎先生と奥様に学位記をご照覧いただきに上がりました。改めて感謝申し上げるとともに、激励の言葉を頂きました。貴重なアルコールや食事は、久しく(というかほぼ初めて?)の味覚でした。
さらに、プロダクトデザインの奥義となるコメントもいただき、今後のデザイン活動をするにあたって、確実な道標したいと思います。がんばります!

などなどと、激動の数百時間でしたが、これから先きの数ヶ月、また怒濤となり更新がままなら無くなるかもしれませんが、学位を頂いたという社会的責任をふまえた、デザインの研究、研究としてのデザイン、デザインによる研究という視座から、日々の生活からの気づきや、新しいコンセプト、問題提示など、幅広くエントリを続けたいと思います。

それでは、皆様今後ともどうぞよろしくお願いいたします!