またHTMLやCSSやらをリーバスエンジニアリングすることになり,頭が痛い.
デザインと実装を同時にやるという意味では,エンジニアリングとデザインとが一致した作業であり,おもしろくはあり,ずっと作業できてしまう自分もいるのですが.
ただし,プロダクトデザインとWebデザインの異なる点として,プロダクトデザインはプロトタイピングを実施することが結構難しいが,一方,Webデザインの場合は,プロトタイピングによって動作を確かめることが比較的容易.
ところが,ここがくせ者で,デザインをはっきりさせておかないと,結局最初から構築をし直さなければならないことも多い.また,動作環境によってデザインや動作にばらつきがあり,悩ましい部分.
で,結局全てのモノづくりに関係しているのだろうと考えるのだけれど,どれだけ優れたメタエンジニアリングが存在するのか,ということ.
簡単な例でいけば,単位系の問題がある.今はほとんどの国でSI単位系が一般化しているけれど,これが無ければ一つの部品を作るのに,膨大な情報伝達が必要となり,ひどく労力が必要となる.よって,なんらかの規格にのっとってモノをつくるというのには合理性がある.
プログラムも同様に,どの言語を使うのか,情報を処理するという目的に合わせて,プログラミングを実施しようとするときに、足し算程度なら,ゼンマイで動くような全て機械機構によって構築することもやぶさかではないが,ちょっとした演算を行おうものならば,チューリングマシンでないと難しい.さらに複雑なことをさせようとすれば,ハードとソフトを明確に分離し,且つ,ソフト=言語系のあり方も規定されていることが望ましかったりする.フレームワークとでも言いましょうか.
ここで注目されるべきであるのは,どのフレームワークを選択するのかは,作り手に依存するし,そもそもフレームワークが成立した合理的根拠は,突き詰めていけば薄弱であると思われる.
究極的には,どのようにやるか,何を根拠にするかというのは,主義主張や思想である,ということがいえると思う,これは,I先生からよくうかがう話でもある.
その主義主張は,好きとか美しいと感じるかといった部分や,できたモノを評価してみるしか判断することができない.最終的には声の大きいやつが勝つ,という訳ではないですが,ある意味冷静にフレームワークを見極める目を養う必要があると考えた,CSSが頭を巡る今日この頃.