さて、新型コロナウイルスCOVID-19の流行が報じられ、小中高校の登校停止の要請が政府からあったりと、近年なかった混乱がひたひたと生活に染み込んできた状況です。上記はWHOのProtect yourselfという自己防衛にあたっての注意事項ですが、日本で言ってるのと変わらないのと、注意すべきはいわゆる咳エチケットを実演してまして、マスクマスク!とは言ってない点。
そして、たまたま手に取って読んだマーセル・セロー著、小説「極北」はいわばディストピアSFともいえる内容でして、新型コロナウィルスが社会に与えている影響や、その結果生じている人と人とのある意味では分断の状況と妙に共通したものを感じました。
中央公論新社 (2020-01-21)
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SFとして、読み物としておもしろく、重苦しいわりには爽快な読後感です。が、爽快な読後のわりには腑に落ちない心持ちになって、まずは腑に落ちない原因を探ります。また、昨今の世相を反映して、コミュニケーションは大事だねという考察を行います。
以下ネタバレありの考察です。
1)あらすじ
ざっくりいうと、遠回りして一周回って戻ってくる、というお話です。とはいえ、ストーリーの展開予想を裏切ってきます。まず、読み始めてしばらくは主人公はおっさんだろうと思ったら女性。そして、登場人物が死んだと思ったら生きてたり、生きてたと思ったら死んでたり。
地理的舞台はうかつに読んでいるとよくわからないですが極寒のようで、読み進めていくうちに、現在のロシア東部であることがわかります。一方、世相は何らかの原因で人口が激減しているのか、人が全然いなくて、交通や通信、物流が破壊されて、飲み食いに事欠くような世界となっています。
このような世界で主人公は生きているのですが、子供の頃に親に連れられて、北米からなんにもない極東に移住します。しかし、世界崩壊、家族離散で天涯孤独になります。小説序盤では出会いがあるけど相方がなくなり悲しみに暮れ、何を思ったか別の街を目指して住んでいた街を出ます。ところが途中で悪い奴らにつかまって、奴隷として強制労働に駆り出されます。ランクアップして看守として謎の都市に派遣されるけど、ここでばっくれて逃げる。逃げて戻ったらまた捕まって過去の重大な秘密を聞いて、そして故郷に帰る、という顛末です。
2)爽快な読後感の理由
物語のベースとして、主人公の行動や感情、考えを読者は追って行きますが、主人公が苦難が始める原因と顛末が物語終盤に明かされ、その事実とともに主人公は故郷に戻り、そして、その後の人生がまた始まって継続していることを伺わせて物語は終わります。この、主人公にまつわる謎の回収が読後の爽快感をもたらしていると考えます。ミステリーの謎解きが物語と共に完了し、小説世界と読者の世界とで一応の安定し、その後のそれぞれの生活が引き続きつづいていくという虚構と現実の健康さに爽快感があると考えます。
この構造はストリーテナーとしての作者の腕がキラリと光ります。が、一方で腑に落ちない心持ちが読者には残ります。
3)なにが腑に落ちないのか?
一方、物語では描かれていないのは、なぜ世界は崩壊したのか、という物語世界の起源です。崩壊していく過程は描かれています。極北に住む主人公の街に、より南の街から逃れてきた避難民が、主人公の住む街に流入して厳しい自然環境でかつ限られた資源を略奪し暴行をはたらくことですっかり街も人も破壊されたことを読み進めていけば自然に理解ができます。
が、なぜ南から人が避難をしてきたのか、また、主人公が中盤から後半にかけて訪れる放射能汚染や感染症の危険のある都市はなぜそうなったのかは明示されません。どうやら、温暖化が原因だったり、科学を突き詰めたとこで起きた事故が原因だったりを推測させる記述はありますが、それを明らかにすることはこの物語のテーマではないし、主人公も関心を払ってはいません。
つまり主人公も物語世界も、過去の栄光はそうであるとして、一方で自身のおかれる世界はそうであるとともにおそらくはそのままであることを引き受けているように思います。
なので、俺たちをこんな境遇に追いやった悪い奴らは誰なんだ、そいつらを一発ぶん殴りに行こうぜ、や、失われた技を取り戻しに行こう、というある意味ではジュブナイルなスタンスは否定され、登場人物たちは良くも悪くも、大人たちばかりでもあります。しかも、そもそもロシア極東という地球上の最低気温を記録するような街があったりするような過酷な自然環境で生き抜くというそもそもの困難を受け入れいることも、不遇に喘がなくていいのかというある意味では優等生的な考えが否定されているようにもおもわされます。
つまり腑に落ちないのは、こういった世界に対する謎や不満というある意味では犯人探しを安易に求める気持ちがとどめ置かれていることにあるのかもしれません。
4)我々のリアル
ちなみに、この物語は、チェルノブイリ原発事故がモチーフの一つだと解説で明かされます。また、翻訳者の村上春樹氏は意図せず東日本大震災の前に、この小説の翻訳を手掛けなければ、と思ったそうです。
東日本大震災より後を生きている我々は、物語で描かれてる世界よりは安穏な世界に生きているつもりではありますが、福島第一原発の事故で放出された大量の放射性物質ともに生きていかざるを得ないリアルを生きています。物理現象として核崩壊で放射線量が下がっていく数万年スパンでこの困難とも付き合っていかなくてはいけないわけです。
また、新型コロナウイルスの流行に対しては、有効な打ち手もないままに、まずは人と会わないという分断で流行を抑えようとしています。目に見えないもの、つまりそこにある環境という条件下でうまくやらざるを得ない。その条件は平等に困難なんですが、マスク買い占め、奪い合い、マスクない状態で咳をしようものならコラコラ問答が巷で同時多発するという、なにやら物語で描かれたような殺伐とした世の中ではないかと言う驚きがあります。
政府や当局の責任を問うや、批判を行うというの一つはわかりやすい我々の反応であるものの、それはそれとして、どうにもならない事態に対しては、極北で暮らすように正しいやり方と正しい知識で黙々と日々をしのぐ、というスタンスが重要なのだろうなと思う次第です。(そうでないと厳しい自然環境では死んでしまう)
難しいのは、新型感染症や核物質の扱いのような高度な知識と技術が必要で、かつ、市井の人々に直接関係がある事柄で、各々の個人が、正しい知識を得ることと、正しい運用で、これはもう、わからないものはわからないことを認めて、各々が住みよく生きるために、めんどくさいけれどもコミュニケーションをとっていかざるを得ないのであろうなと思います。
5)断絶を超え
で、学級閉鎖というか、いきなり卒業式になってるらしく、都内で電車に乗ってると大きな荷物やスーツケースを転がす制服姿の学生さんを散見したのですが、これはいきなりのコミュニケーションの断絶が起きてはしないかと心配になったりはします。
とはいえ、これは情報を交換しようというコミュニケーションではなく、どちらかというとコヒーレント、フリップフロップな信号交換のような他愛のないコミュニケーションではあろうかと思います。とはいえ一方で、大本営発表のような一方通行なコニュニケーションではなくお互いが疎通し合うという基本的な関係性であり、これが空間的なところではなく、ICTにより何らか補完されていくような世の中になればと思います。
かたや、この事態を引き起こす要請を出した政府については、大人気ないコミュニケーションなのではないかと思わざるを得ない対応を記者会見で晒しているようにも感じられます。
なので、個々人に求められるのは批判的精神を持ちつつ、事態を悪化させないでいるという中腰で耐えるタフさですが、極北を思いを馳せながら春を迎えて参りたいと思います。
参考
a. ロシアについて
BS世界のドキュメンターで最近たまたまやっていて、読んでる本のロシア感を感じるには適切だなという思いです。ロシアは水際対策に成功している、とのことですが、中露国境は人口が希薄で、かつ、交通も不便ではあるので、日本や韓国といった利極と比べると容易なのかもしれないというのが、なにやらひんやりした映像から感じられますね。
映像詩 不滅のロシア | BS世界のドキュメンタリー | NHK BS1
b. 首相会見について
テレビで生中継してましたが、質問が途中感はありましたら裏で下記のようなやりとりがあったのですね。こういうのよくなになぁなどと思ってしまいます。
新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ(江川紹子) – 個人 – Yahoo!ニュース
c. よりエクストリームなSFシナリオ
各国で感染確認がされ、南極大陸以外の全ての大陸で感染確認という報道が出ました。
ブラジルで確認された新型コロナの感染 南極除く6大陸に拡大 – ライブドアニュース
ああ、小松左京先生ですね、とピンと来る方はきっと、世田谷文学館に足を運んだはず。