資本は人と人を分つ


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話題になっているのか、なっていないのかわからないのですが、個人的に衝撃だったので記述。Google Maps APIが有料化、ということ。例えば、上の地図はペロッとGoogle Mapsから利用させてもらっている地図ですね。

Google Maps API有料化の詳細発表、該当ユーザーは2012年初めに強制課金開始

どういうことかというと、例えばiPhoneに搭載されているMaps、コレを使うにはgoogleにお金を払う必要がでてくる、ということ。具体的には、無料の利用枠を超えるAPI利用には有料となる。

エンドユーザレベルでgoogleにいっかいいっかい代金を払うのかは不透明です。想像するに、iPhoneの場合、そのアプリを提供しているAppleが払う、あるいは、APIをたたきにいく端末を売っているキャリアが払う、という事態も発生しそうです。

わたくし、このMapsがないとほぼドコにも行けないほど依存してます。もし使えなくなったりすると、非常にヤバい。また、ツクル人としては、API便利で、今ここにいるのか!というアプリをさくっと作れるのは大変魅力的です。

もちろん、あれだけの地図情報を提供しているんだからしょうがないよね、という見方はまさしく妥当です。が、そこから個人的に想像するのは、いきなりですが資本は人を分つ、ということ。

ジョブスさんが亡くなりましたが、googleのandroid携帯にたいして敵意をむき出しにしていた事があきらかとなってきています。今回のアナウンスは、ある意味ではgoogleがappleに対して敵対するための布石、ということもできます。googleのこと悪く言うやつは仲間はずれにしてやるぜ、的な。

つまり、検索技術からMapsをはじめ、youtubeやgmailなどのクラウド的なインフラ。従来は無料で提供してきたこれらのコンテンツ、その検索情報に課金される可能性がちらつき始めた、という気がします。何を薮から棒に、といえばそうなんですが、どうにもじりじりするので、もうすこし考えます。

さて、インターネットの世界は、軍事技術からスタートしてきたとはいえ、絶え間なく、そして遠くとコミュニケーションをとりたいという夢に根ざしています。

その結果として、例えば、ジョブスさんの死去をフランスのニュースサイトから配信された情報を日本にいる私が寝床でiPhoneを眠気眼で見る、でそれをツイートしてシェア、なんていうミラクルを実現してきたといえます。

すなわち、インターネット技術によって、世界はなんだかいつのまにかグローバルビレッジ化しちゃったなぁという実感があります。実際になかなか合えない人でも、チャットしたり、写真を交換したり、動画を見たりなどして、すごく近しいような存在に感じたりもします。このように、ネットによって、世界はピースになっててすばらしい!と諸手を上げて喜ばしく思っていました。

しかしながら、これらの情報にアクセスできるのは、インターネットにつながっているということが前提。

さらに言うと、いろいろなコミュニケーションがさまざまな無料サービスの元に成り立っています。はっと気づいてみると、無料であるが故に、それが空気や水のように、あたかもアプリオリに世界にあったかのような錯誤をしてしまっているのではないかという薄ら寒さを個人的に感じます。

人と人とをつなげる、という目的を実現するために様々な技術が有志によって開発され、そしてそれが企業によって人々に広がっていく。それを実現するためのインフラ整備や、コンテンツ製作、みんなが便利に使えるAPI整備などというのは、それ自体では人と人との綱がりを作る訳ではないですが、その結果として、人と人とのコミュニケーションが培われたり、思いがけないつながりが形成されたりします。

つまり、結果として、資本を駆動力として、人々の距離があたかも縮まっているような世界がイメージできるでしょう。つまり、資本は人と人とを結びつける。

ところが、結果として生じたその人と人とのつながりそれ自体に価値を認め、何らかの課金を行う事を意図した場合、その課金を嫌う人は離れるだろうし、課金によってアクセスできなくなる人も生じるでしょう。

そのことで、人と人とのつながりは、その課金というフィルタによって制限された人々の中に矮小されるし、資本に裏打ちされた経済圏の中でしかアクセスが許されないという世界感の形成も予感されるでしょう。すなわち、資本は人と人とを分つ。

ここまで考えてみると、ネットって、アナーキーで自由なモノ、というのは、もはや違うのかもしれない。ネットにおけるビジネスというのが、これまではその上で起きている商品流通や決済だけと考えるのはもはや不十分で、その上で余暇を過ごすことや、人と人とがつながっているというその社会の場を提供することもまたビジネスになります。

さらに一歩進めて、人と人とのつながりそれ自体に商品価値を見いだす事となった場合、とたんに窮屈な空間になりはしないか。そして、果たしてそれを実現するビジネスモデルとはいかなるモノなのかを考えた上で、それを超える何かを構想しないと、そろそろどうもネットの世界はサイバー戦場となるのではないかと妄想を膨らませる昨今です。

とはいえ、これから写真を送るために、Picasaに写真をアップロードして、twitterでお知らせしようと思ているんです。はて、こんな便利なこと、無料でできていいのかしら、などと。

追記:ああ、とおもってみると、googleは広告の会社だったよね、という事を思い出しました。とはいえ、何を広告するの?というのは悩ましい。コスメやFXとかそういう広告でもまあいいんですが。例えば。有名人になりたい!革命だ!とかアイドルになりたい!って人が、どんどん個人で広告出したら面白いじゃん、なんて思いますがいかがでしょうか?一個人しか買えない広告枠というのをやったら、アナーキーで面白い。先駆的例は毎度毎度の政権放送ですね。

内田裕也政権放送「完全版」

追記:11月3日: appleが地図会社を買収とのこと、あー、やっぱりgoogleからの脱獄ですな。

「Google Maps」も真っ青?- アップル、3Dマッピング技術のC3テクノロジーを買収

 

 

 


新核燃料ナンセンスサイクル

原子力発電という仕組みについて、以前放射性廃棄物について少し調査。フィンランドでは地下に最終処分場をつくる、ということで、オンカロとよばれる施設が建設中であるとのこと。一方、日本では最終処分場は未だ決定されてはいないものの、野幌というところで最終処分のための技術開発を行っているらしいということ。
1000世紀のデザイン

これは原発を稼働させた結果、出てくる放射性廃棄物の処分についてでしたが、普通に考えれれば捨てるってことは掘り出してくる訳で、するってーとどこから掘り出してきて、どういう仕組みになっているんでしょうか?という疑問が生じます。

たとえば調べると、ウランが採れるらしいオリンピック・ダムOlympic Damという鉱山の写真だそうです。驚きは有り得ない色。。。

Olympic_Dam_uranium_mine.
Olympic_Dam_uranium_mine.

http://www.stolspeed.com/coast-to-coast-by-rans-s7

ググってみますと、世界でのウラン生産量が多いのが、カナダ、オーストラリア、カザフスタン、ナミビアなどとなっており、続いてロシア、ニジェール、ウズベキスタン、米国、ウクライナ、中国となっているそうです。
生産量はカナダで9000トン、で2008年実績で総生産量が43853トン、(ややこしいのは、市場では酸化ウランというU3O8という物質の重さで取引されているそうです)。これをイエローケーキ、天然ウランと称して流通されています。
ウラン生産量(国別) – 資源ランキング

さて、具体的なイメージを持つために、どれくらいの量なのよ?ということを計算してみます。密度は8.3g/cm3とあるので、8.3t/m3、酸化ウランが51,716tだそうなので、割ってやるとだいたい6230m3ぐらいの体積になります。船積みのコンテナの規格で一つ39m3だそうなので。満載したとして159個のコンテナとなります。ほんとはその100倍1000倍ぐらいの体積でやり取りされるとおもいますが、意外と少ない。
コンテナ – Wikipedia
酸化ウラン(U3O8) | 1344-59-8

ただし、生産量よりも需要の方が多いらしく、これに加えて、ロシアの核兵器から転用したウランを使ったりして原子力発電の燃料はまかなわれているそうです。

日本では、六フッ化ウランという酸化ウランを濃縮して核分裂しやすくするための前段階の物質の状態で輸入しているようです。六フッ化ウランは沸点が低く、ウラン濃縮の際の遠心分離機にかける際に扱いやすいから、ということだそうです。
5.核燃料物質等の輸送?文部科学省

さて、以上を材料として、ちょっと考えます。

まず、素朴に驚きなのが、ウラン鉱山を所有しているの民間企業が多いということ。こちらの資料がわかりよいのですが、BHP Billiton(英、豪)、CAMECO(加)、COGEMA(現在Areva NC)(仏)、RioTinto(英、豪)、Kazatomprom(カザフスタン)という5社で2/3の資源を握るような構図となっているそうです。このうち、国営なのはKaztompromだそうで、COMECOは、元は国営と州営企業だったのが民間開放ということだそうです。これら企業が、例えばアフリカ諸国の鉱山で採掘しています。フランスは、特にカナダやアフリカに利権が強く、イギリスはオーストラリアに利権が強い。ちなみにアメリカは自国内で生産もしているようですが、採算性が低いため輸入燃料も利用するようです。一方、日本でもウラン採掘が試みられたそうですが断念、その残土が問題にも。
世界のウラン資源開発の動向(PDF)
人形峠

さて、ウランは原子力発電に使われますが、もちろん核兵器にも使われる訳で、開発途上国の資源を奪いつつ核兵器所有を許さん、とうなんとも、な感じ。また、発電するにせよ核兵器開発にするにせよ、特定の国でしか利用することができず、かつ、国の規制下におかれるにも関わらず、採掘によって得られる利益は特定の企業の利益になり、株主に配当されます。たまたま資源の採れる国にその利潤がまるっと還元されるわけでは必ずしもないらしいと。

これは、他の資源でも同様なのですが、特に軍需産業に密接なだけに複雑な気分。また、採掘に伴い、不要となる残土ですが、ただちに健康に影響はないよと再三再四言われてはいますが、ちょっとでも放射線は出ます。なので、採掘で吸引したり、食物連鎖の結果から内部被爆する可能性があり、採掘労働で健康は害するは豊かになんない、ではあまりに不公平。例えば先きの鉱山の写真はBHP billitonが取得しています。
ウラン残土では無いですが、ウラン濃縮のかすの劣化ウランは兵器として利用されており、その健康被害についてはWHOで報告やデータが無くて結論だせない、という考えみたい。
劣化ウラニウム(PDF)

もう一つ、先ほど旧ソ連、ロシアの解体核兵器等の濃縮ウランを燃料として販売する、ということについて。核兵器が削減される、ということは、ある意味喜ばしいことです。核大国旧ソ連と米国間で、何度か戦略核兵器削減条約(STrategic Arms Reduction Theory、START)で核兵器の削減が実施されているます。
米露間の戦略核兵器削減条約(START)

はたと考えると、単に核兵器削減の結果、どうにもならない核物質をどうするかという疑問。放射性物質を管理するのにお金使うよりも、これをお金に替えた方が得だよね、と考えると思います。自分なら考えちゃいます。だったら原発で燃やそうよと考えるだろうと、それ以外の使い方がない以上、こういった結論に至ります。

以上をふまえると飛躍しますが、核物質の生産と消費、この大きな構図として、

順当な考え方
(電気)エネルギーが必要→原子力発電が低コストで環境負荷少なくていいじゃない→ウラン採掘して燃やす
ダークサイドな考え方
他国を圧倒したいジャイアン的心理→核兵器が欲しいじゃない→ウラン採掘して原爆つくる

これらがふわっと考えられます。でさらにいうと、

冷戦体制下における核燃料と資金
各国の核兵器開発→核兵器生産の為にウラン採掘→プルトニウム生産の為に原発稼働
税金等→核兵器開発予算がウラン鉱山所有する企業に
電気使用料→原発運営事業者に

という構図に加えて

冷戦終結後における核燃料と資金
核兵器削減→濃縮ウランおよびプルトニウム余る→濃縮ウラン売る、プルトニウムはMOX燃料でプルサーマル、あわよくば高速増殖
電気使用料→原発運営事業者に

という考え方もできます。エネルギーが必要という論理からの原発推進とは裏腹に、ウランやプルトニウムの経済価値の創出および維持のための政策の側面もあるじゃないかという推察が可能となります。

つまり、思い込みマックスでいくと、世の中にある核物質流通量がすでに一定量あるとすると、使い道が核兵器と原子力発電しかない以上、核兵器と原子力発電での使用量のバランスでしか資源価値をコントロールできない状況におかれているのではないかと言えます。

原子力発電を縮小すると、余った核物質の経済価値を創出のために再度核兵器開発に向わざるを得ない。一方、核兵器削減を行うと、余った核物質の経済価値創出のために再度原発推進に向わざるを得ない。

余った核物質が簡単には価値の無いものとして廃棄できるものなら良いですが、核廃棄に伴う安全管理と管理コストが発生します。

さて、困ったという事で一つアイディアがあるとすると、鉱山開発では大きな土木機械を使います。また、ウラン濃縮を行うには遠心分離法など、結構電気を使うらしい。せっかく夢のエネルギーならば、石油など他のエネルギー源を使わずに完結させてほしいものです。という事で、新しい核燃料サイクルです。

 

ナンセンス核燃料サイクル
ナンセンス核燃料サイクル

原子力マシンで採掘を行って、その燃料をまかなうために、鉱山近傍に原子力発電所を建設。ウラン濃縮工場でウラン濃縮を行う。すると、またウラン採掘を続ける事ができますよ、と。使用済み燃料は、また鉱山に埋め戻す。。。ああ、ナンセンスマシーン。


中の空

各方面からあきれられていますが風船をふわり。今回は上空の絵です。前回の撮影では、カメラを2点で支持してしまったため、風船のブレに合わせてガクンガクン揺れちゃったんですが、今回は1点支持で思いのほかブレ少なし。

一つはカメラを下に向けて。これは、ちょっといままで観た事無い絵。

もうひとつは、ちょっとした小山の上で風船を上げてみた。夕暮れ近くで夏の終わりが漂う田園にて。

とまあ、どうやらカメラを上げて撮影する事に不安はなくなってきたので、arduinoか何かで計測/制御系をつけたり、そもそもこのセット運搬するので挫折気味だったので運搬システムを考えたりなどと。

ビルならもっと高いところからの展望が得られますが、日常の先きの数メートル上空って、意外と縁が無い空間で個人的には興味深い。しかしながら、実際に役に立つの?、という事に関して個人的目論みはありますが不安感も否めず。

というところで、wiredの記事に驚きとともに、励まされる思いでもアリアス。気球で宇宙に近づこうというプロジェクト。

Wired.jpの記事の写真です
Wired.jpの記事の写真です

このプロジェクト、ビジネスでペイする、という部分もクール。行政主導のプロジェクトとかは、お金だけ使ってそのまま終い、ということがままありますが、ビジネスにする場合はお客様にサービスを届ける、という部分が当然の目標となります。見習いたい!
だから、首相交代となりましたが、規制するところはきちっと規制、促進するところは規制緩和するなど、民間がやる気を出せる環境になる事を期待します。

で、個人的には上の空をくぐる中の空ぐらいになんだかブレイクスルーを感じる昨今です。

直径120メートルの気球で、宇宙へ最接近 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム