単純の繰り返し

決まりと連続について。

簡単な決まりが連続して運用されることで、豊かなイメージが生成できることがあります。例えば日の丸的な何かをちょっといじるとこうなります。

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で、自分の名前をいじるとこうなります。

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だから何だという話ですが、簡単なことで複雑なことができるという考え方は、原子の振る舞いがわかれば世の中が記述できるという、古典的な物理学の世界間とにています。

デザインでは、人間の力によって、様々な対象が決定されていきますが、結果からデザインを分解していくと、どのような決定過程、デザイン原理が適用されたのかわかるかもしれないです。そうすれば万人の万人に対するデザインが見いだせる可能性もあるとおもいます。

ただし、量子力学的な振る舞いは決定論的な過程とは反する振る舞いであります。デザインも、万人が万人で同じことをしても、結局結果がかわってくることも多いです。

量子力学的な振る舞いが、デザインにおいてはどのような振る舞いであり決定過程であるのか、そのことがデザインの学理を構築する上で考えるべきことだと考えています。

このことは、自然の様相が、簡単によて驚くほど豊かな振る舞いへと統合されていく過程と何か近いものを感じさせます。


企画と計画のアップデートパッチ

デザインにおける企画と計画について。

企画とは、軍事用語で、敵の領地を奪うことを意図する、画策するという意味。計画は、企画を実現する上での手だてである。ということを教わりました。(と、私が解釈しているだけという可能性はあります)

なので、デザインにおける企画とは、その動機付け、コンセプト、理念などのオリジナリティが核としてあり、空間軸にそって要素が要因として配置されていくことであろうと考えます。

一方、計画とは、企画意図に基づいて、人材、物資、資金を運用し、時間軸にそった配列となることだろうと想起できます。

では、デザインが以上の企画や計画という意味で用いられるのはなぜか、と考えると、それは、異なった軸である、空間軸と時間軸とを統合的に勘案して、目的にあわせた目標を定め、そして実施していくという思考方法が、実は、人間の思考方法として、形態に基づいた思考方法と近いものがあるのではないかと考えることができる。

さらには、上記の思考方法が、たくさんの人と共有できるような汎用性を備えていれば、より訴求できる幅広い企画を打ち出して実現のための計画に至る。

つまり、シーケンシャルな思考を、シャッフルすること、そのまた逆を行うことが、時間の矢印と空間の矢印とを行き来しながら行動し考え評価していくことと似ている。

以上のことを考えたのは、企画力と計画力が低下して業務が今ひとつなのと、展望が開けない!ことを反省をしたから。特異のことは普通に、特異なことを普通に、普通のことを特異にする柔軟な思考と能力、そして更なる忍耐力を備えることが、自己のバージョンアップの企画意図。


肺の移植装置

Med GadgetというWEBサイトをちょくちょく見に行きます。

今回、見に行ったら驚きの技術が。

肺の臓器移植の際に、臓器摘出から移植までの間、肺の状態をなるべく生体に近づけようとするもの。

ガラスの容器に肺をおさめ、ベンチレーターに接続され適温で管理するそうだ。

人工肺は、現状では体外循環の際に用いられるのみで、生体の肺と交換するようなものは存在しない。さらに、肺の移植は難しく、3年後の生存率は55.6%との報告もあるそうです。日本の場合は、そもそも移植ドナーが少ないです。

肺移植について

しかしながら、装置のありようがかなり異様なモノを感じざるを得ません。生体である以上は、もう少し、生体の中にある形態に近づけてあげた方が、提供した人も提供される人もうれしいのではないだろうか。

ということを、動画からはびしびし感じました。


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MIT Technology Review