ベトナムは一人旅、とはいえこちらも日本語観光ツアーに混じって観光したりしてたので、存外にスムーズ。しかしながら、街の中は疲れるなぁというのが所感ではありました。
1. 戦争証跡博物館、作戦博物館、クチトンネル
戦争にまつわる博物館や観光地にいってきました。ひどい戦争だなぁというのを改めて思います。一方、へんな感覚ですが、ベトナムはひどい目にあったけれど最終的に勝った、という一点において、戦争をして負けた日本とは異なるぞと思いました。
まず、戦争証跡博物館。胎児のホルマリン漬けとかがありまして、衝撃の内容となっております。ベトナム戦争については調べ物をしてはいましたが、残虐な兵器がいくつも使用されたというのが実はそれ以前の戦争と大きく異なる点じゃないかと感じました。
すなわち、イメージする戦争というのは、爆弾や鉄砲という武器を使ってどんぱちというもの。ベトナム戦争ではそれに加え、枯れ葉剤、クラスター爆弾等が用いられたらしいです。
枯れ葉剤については、奇形児が生まれる等、その瞬間だけではなく、後年にわたって人体に悪影響をもたらす事が知られています。先ほどの胎児の遺骸もその影響のあるもの。
また、クラスター爆弾は見た事が無かったんですが、羽のようなモノが生えていて、黄色い色をしていたり。ちょうどお手頃な缶詰のように見えます。アフガニスタンやイラク等で不発弾を子供が触って爆発するという事故が起きている、という事がようやく腑に落ちます。
次に作戦博物館はマイナーなのか人があまりいなかったのですが、 先ほどの戦争証跡博物館とは異なり、如何にゲリラ戦を戦ったのか、また、指導部がどのように振る舞ったのかが展示されています。はっと思ったのは、日本で戦争にまつわる遺物などは、基本的には負けた戦争のモノが多く、それを通じて戦争はいけないという反省を促すものではありはしないかと考えました。
一方、勝ったベトナムは如何に勝ったのか?という成功した理由を説明することで、次回の侵略にも耐えるぞという意識を醸成できるのではと考えました。良いのか悪いのかはその国や地域によってことなるでしょうが、負けない方法を考える、備えるという観点は、当たり前と言えば当たり前ですが日本で生活する限りは考えません。
最後にクチトンネル。地下トンネルでゲリラ戦が繰り広げられていた場所を今では観光することができます。トンネルでの生活や武器の製作方法、また、ジャングルでのトラップ等が展示されており、ゲリラ戦の戦い方がわかります。厳しい環境で戦ったのね、ということがよく伝わってきます。が、これも先ほどの例じゃないですが、勝った戦争であるからこのPRがさらに効果がある事が理解できます。
洞窟で思い出されるのは、渡辺謙が出演して話題となりましたが、「硫黄島から着た手紙」という映画。島内に掘られた洞窟で持久してそして最後は負ける、という悲惨な現実が描かれています。沖縄もそうですが、逃げ場の無い洞窟内で自決等という寂しい歴史が日本ではおなじみです。
ベトナムは、厳しい環境でも耐え忍びを耐えて勝ったという歴史があります。だからこそ、これら戦争にまつわる遺物を遺構を整備し公開をしているのだろうと考えます。
欧米の観光客もたくさんこれらの施設にやってきていました。これをみて反省を促す効果もありますし、いろいろな感情も起きるだろうと。これ見た上で、もう一回戦争仕掛ける気はあるの?と問われればそうは思わないだろうと考えます。いわば一種の安全保障としてこれらの観光施設を意図していると私は考えました。
ベトナムの人たちの聡明さと、堅実さ、タフネスを実感した次第です。
2. バイクタクシーのおっちゃん。
かなりしつこく客引きされます。また、それ日本で道ばたで言ったらぶっ飛ばされるぞという言葉をしゃべるおっちゃんもいて非常に残念。で、客引きされても絶対のらねぇよ、というとじゃあいいよと世間ばなし。
そこでおもしろいなぁと思ったのは、日本と中国との関係について。最近は日本と中国が険悪じゃない、とか、日本は強い武器をもっていていいねとか話題にでました。
というのも、中越戦争でベトナムと中国はかつて戦争をしているとともに、離島を中国に占領されている状態にいます。つまり、尖閣諸島問題に近い状態を既にベトナムは経験済みであり、かつ、現在進行形で問題になっているわけです。
西沙諸島
南沙諸島
日本にいても、日本と中国、という2カ国で話をすると息が詰まるのが正直なところです。しかしながら、アジアに目を向けると日本に共感を持つ人もいるんだなと、実際は当たり前な事かもしれませんが気づかされました。
実際に問題を解決しようとするなら、案外周辺諸国と一緒に議論をした方が生産的なアイディアが生まれそうに思います。
3. マクドナルドは無い、フォーはうまいしニョクマム好きかも。
ちょっとハンバーガーでも、と思ったのですが、マクドナルドは見つけることができませんでした。そのかわり、ロッテリアは大きな交差点の辻に建っていて結構便利で目につきました。ロッテリアは韓国資本なので参入しやすいのかなぁと思われました。
また、ベトナム料理ということでフォーも食べてましたが、これは安定のお味でありがたい限り。また、ベトナムのお醤油のニョクマム。これ、食わず嫌いでしたが、ニョクマムがかかったご飯が出てきて普通にうまい!と思った次第です。
4. 通信
スマフォでの3Gデータ通信はOKでした。詳細はこちらにどうぞ。あと、海外であんまり電話使いたくなかったんですが、リコンファームのために電話。面白いとおもったのは、郵便局で電話ボックスのようなモノがあったので、使い方を聞いたところ、後払いと言われたこと。話し終わったら時間の分だけ精算でした。ということは、絶対盗聴可能やんけ!と思った次第。
5. 町並みと経済
町歩きをしてみて思った事。探せばあるんだろうけれど、欧米系ブティックはあまり目にしませんでした。デパートにはそれなりのショップがありましたが、なぜか最上階にボーリング場があって10年以上前の日本のアーケードゲーム機がおいてあるなど、なかなかにカオスな様相。当然ながら消費が無ければ進出する理由がないので、まだまだ豪奢なモノを買うような水準ではないのであることが理解できます。
書店。町歩きで本屋さんで本を眺める、デザイン系の本を探すというのをしばしばやります。が、デザイン系の本が全然見当たらない。ここでのデザインはグラフィックやプロダクトのことですが、意匠に関する情報がまだまだないことを見ると、一般にその需要が喚起されるに至っていない事が理解できます。ちなみに、工学系の本はそれなりにそろっているんですが構造計算の専門書とか。学問的には底力の充実を計っているのかなと考えます。
最後にハプニングとしては、停電に遭遇した事。全市停電とかではなくて、一区画で停電が起きただけですが、お手洗いの電気が付かなくて真っ暗闇で窮しました。みんな備えをしているらしく、停電時には発電機をまわす光景がちらほら。これくらいが当たり前かなと思います。
6. 日本人のちらほら
観光客の方たくさんいるので、道を歩けば日本人の方とすれ違います。
で、前述の戦争証跡博物館、戦場カメラマンのコーナーがあるんですが、日本人カメラマンの展示もかなりのスペースがありびっくりしまいた。
またトリガーとなった人、石川文洋さんはご自身のコメントが載るとともに、ベトナム戦争と当時の生活が伺えるような、他の人の写真とはまた異なるテーマ性の写真が多く展示されているようでした。ベトナムにおける石川さんの写真が重視されていることが伺えます。
ちなみに、この建物の外にあるベンチはほとんど日本からの寄贈のモノで、贈り主の名前などが刻まれています。日本の人は、ベトナムへの関心が高いということが理解できます。
以上、駆け足で(実際駆け足で巡っただけなのですが)ベトナムにおける所感です。ベトナムと日本との関わり、無いようで有るような、いろいろ感じた次第です。
個人的には、石川文洋さんの本がきっかけのベトナム、そしてベトナム戦争を経て戦後復興と貿易取引としてのおつきあいなど、やっぱり好きだなベトナムという感想です。
ただし、経済的にはまだまだ発展途上である事はぶらぶらしていると感じます。いきなりですがデザインの観点からは考えられるのは、日本のグッドデザイン制度のこと。グッドデザイン賞は、日本が貿易立国として海外へ輸出する際に推薦できるモノであるという印の機能も持っていました。これができるのは、自国内の産業が自前で製品を計画し生産ができることが条件となります。ベトナムはまだ自国内の産業を持ってして輸出できる環境はまだ十分には育っていないのだろうと考えられます。豊かな穀倉地帯を有するベトナムは、第一次産業が貿易の要ではありますが、経済の観点からはいずれ高付加価値品の生産も手がけるようにならざるを得ないでしょう。それは食品加工かもしれませんし、工業生産品かもしれません。輸出政策を展開する際には、グッドデザイン報奨制度は、日本が貢献し、ある意味では輸出できる仕組みかもしれないともやもやと考えます。
もう一つ、いろいろ書きながら思ったこと。個人的にはなぜベトナムに惹かれるのかというと、小さな時には単純な冒険の地としてのジャングルや戦場だったりに意識が向いていましたが、実はアメリカに勝った国という事実が理由の一つとして挙げる事ができるんじゃ無いかと考えています。当時は私は生まれていなかったんですが、ベトナム戦争への道義的な反戦活動が行われていたと読んだことがあります。これは、反戦とは言いますが、代理戦争の観点ではなくベトナム民衆戦争としてアメリカに立ち向かい、そして勝つ事に対して側面から支援をしている事にもなります。
敗戦を経験し、また、戦争放棄を謳い米国の安保条約を結んでいる日本。ベトナム戦争は一義的にはアメリカを支援せざるを得ない。しかし、ベトナムが負ける事は、すなわち、日本の敗戦と重なる光景でもあったでしょう。実際のところ、負けたくはないのが人情というもので、できる事なら太平洋戦争でも勝ちたかったであろう。その時。心情的にはベトナムに勝ってもらって恨みはらしてもらいたいという感情も有りえます。日本人がベトナム戦争に反対すること、そして、ベトナムを支援してきて、これからも支援する気持ちもあるとうのは、実は太平洋戦争での日本の敗戦に対する代償行動なんじゃないかなぁと、今考えています。
これは書きながら思いついたことでもあり、なんというか、書きながら、おおっと感じた次第です。負けないってすごい!
補足:最近ですが、ベトナム戦争をテーマにしたマンガがあります。ディエンビエンフーというタイトル。ファンシーな絵とは全く裏腹な残酷描写がいっぱいではあります。が、ベトナムの戦争とはなんなのか、ベトナム戦争以前1000年前のエピソードも出てきます。これを読むと、ベトナムが負ける分けない、などとやっぱり思います。オススメです!
そういえば読んだ本と思ったら、それなりに読んでいた。感謝合掌。