半島

恥ずかしながら原子力発電施設を見た事がない、ということで、先日原子力発電所への接近。実家のある福井県は原発銀座と呼ばれる原発立地地帯。

場所は、福井県敦賀市。敦賀半島には、敦賀原子力発電所、美浜原子力発電所、高速増殖炉もんじゅがあります。もちろん、電車でアクセスできないので、レンタカー。

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原子力館からの眺め
原子力館からの眺め
正門付近
正門付近、原子炉建家が見えます。

まずは敦賀原子力発電所です。敦賀原発は東電や中電などの電力会社ではなく、日本原子力発電という会社が運転しているものです。
敦賀市内から一本道で半島の先きの方までいくと、原発の正門前に。もうちょっと進むと原子力館というPR施設があるので、そちらに駐車。正門前をぶらぶらして散歩。驚いたことに、取水口の上に道路が走ってます。そして、もうひとつ興味深いのは、協力会社のスタッフの通路が別に設けられてました。

取水口付近
取水口付近
もんじゅ
もんじゅ遠景

次にもんじゅに。半島を横切るトンネルで移動。こちらも道路一本でアクセス。正門前まではアクセスできます。しかしながら上手く見える場所が無いのでぐるっとしてみると、砂浜から良い眺めです。
現状、炉内のつり下げ機構の破損事故で大変深刻な状況ですが、拍子抜けするようなのどかな雰囲気です。
少なくとも、特別の警備状況がしかれていたようにも見受けられませんでした。

美浜原発
美浜原発、逆光ですが。

最後に、美浜原発に。美浜原発は、関西電力の運転する原子力発電所で、こちらは関西地方のへの電力を供給をおこなっています。
こちらは、半島のさきっちょに島のようになっている場所に3基の原子炉があります。こちらもPRセンタと併設されているのですが、そこから原子炉の敷地までは橋でつながっています。陸路は一応あるのですが、湾を一周する道路で、かつ地図を見る限りちゃんとした道路はない。

 

こうやってぐるぐる回っていた日は、まず敦賀原発2号機で一次冷却水の放射性物質濃度が上昇したため、7日から運転停止、9日には放射性ガスを排出しています。調査を進めるそうです。
美浜原発に関しては、5月4日、海江田経産大臣が視察。駐車上になんか記者っぽい人がいたと思ったら、そういうことかと納得。結果的には西川知事は現時点での原子炉再稼働を認めない、というスタンスに。
最後に、もんじゅに関しては、来月にも問題の炉内中継装置の修理工事が始まるそうです。こちらは、全く事態が今後どのように推移するかは未知数といえば未知数。

以上、個人的に見たものと、現在の状況についてざっと概観です。

いくつか気づいた点、

1)モニタリングポストの値が目につかない
PRセンタとかは、放射線量が表示されているものと思ったのですが、意外と目につくところに線量が表示されていない。また、表示単位がグレイの古い単位系で、昨今言われるシーベルト表示ではなかったり。わかりづらい、、、。
たとえば、敦賀原発正面のPRセンタでは原発自体は見えますが、線量は当然見えない。さらに、トラブルがあるとの報道の翌日なので、なにか出てるか気になりますが、なにもわかりません。
こういう意味では、現場にいるよりも、ネットで公開されている値を見た方がよいんじゃないか、とおもいました。

2)交通僻地
半島の先きで、道路が1本でどんずまりの場所では、物資の陸送もこの道に頼らざるを得ないと思われます。しかしながら、崖崩れなど道路が封鎖された場合、陸路が封鎖される可能性もあります。
すると事故が起き、かつ道路が封鎖された場合、迅速な物資や人員の移送が困難になるのではないかと想像できます。逆に避難もできなくなります。
海に面しているので海路があるとは言えますが、積み替えの問題などもあります。また空路を使うにしても、積載量と天候の問題があります。
それをふまえて調べてみると敦賀市長もその要望を出しているようです。しかしながらその整備は時間もかかりますし、何らかの自体に備えた機動的な輸送路を構想しておく事が必要かと感じました。ちなみに、直線距離では越前海岸の方が敦賀市街地より近い、です。

3)テロ対策
今は地震や事故時の対策だろ!というのはごもっともですが、テロ対策が十分だろうかと疑問にもちました。
そもそも、私のようにぷらぷらしている人間を職質するひとはいませんでしたし、原発敷地と一般人の入っていい地域が近い。直接的な施設ではないですが、開放禁止のゲートが開きっぱなしになっていたり、撮影禁止と止められても少し離れれば撮影を阻止できるものでもありませんでした。
また、海域直近で、かつ、近隣に大きな警察力や防衛力がありません。前述した通り、交通が限られるので、事態発生後、対応には一定の時間を要すると思われます。おそらく、物騒な妄想ですが、十数人の武装した集団が押し掛けた場合、それを阻止することができないし、対応が遅れるでしょう。
また、これも前述しましたが、敦賀原発の場合、取水口の上を道路が走っています。ここを破壊され取水できない、など冷却機能を奪われた場合、冷却水を循環させるといったことが可能としても、冷却能力は時間とともに低下していきます。
もちろん、テロとかそういう事をする以上は、何らかの目的をもった誰かがいないといけないく、現状それを実施するような人はいないと思われます。

このように、現場にいって実感する事もある、ということです。不安になるのは、ぱっといって思いついた事は、要は建設時にはじめっから想定されることです。ところが、この対策が十分とられていないように見える点です。さらに、その対応すぐにとれないとしたら、現実的な代替案があってしかるべきだと思われます。
1)の線量については、緊急時には防災無線等をつかって現状値をアナウンスしたり、道路脇など、線量計の表示をつけたらどうでしょうか。
2)の交通については、現実的には海路/空路の充実。空路については前線基地となるようなヘリポートとそこまでのアクセス。会わせて海路については、海保基地の活用などでしょうか。港湾設備については、敷地と輸送の天から空路/海路の拠点とするのに適切では、とおもいます。当然訓練。
3)については、民間人の武装ができないとすると、県警および海保の警察力を整備する。そして、具体的な後方には舞鶴の海上自衛隊の方々、かと。ただし、テロ発生時の一義的な対応者は警察となりますが、テロ行為があり、かつ、原子力発電所災害が起きた場合、治安出動なのか災害派遣なのか、その際の指揮権についても申し合わせておく必要はありそうです。

ということを記載して調べてみると、いろいろ出てきますね。。。
テロ対策大丈夫?“厳戒”敦賀原発の倉庫から配管4本盗難(読売新聞) – goo ニュース
米が日本の原発テロ対策に憂慮

いずれにせよ、想定外は起きるということを想定しながら、人が起こすかもしれない問題について打てる手があるなら対応策を想像しておくことは重要かと感じた半島一周。


チャーミングに

先日、とある番組があるよという話を聞いて久しぶりにテレビの前に。

サヘル・ローズさんという方と、伊勢崎賢治さんという方の対談。予備知識は皆無。話を聞くとサヘルさんはトテモ美人、ということで俄然興味がわきました。イランで孤児になり、なんやかんやとしていて日本で活躍をされている方だそうです。また、伊勢崎さん、アフガンの武装解除で思い出しました。話をつけるってのが、あるいみヤクザの親分ぽいとおもい昔かっこいいと思った記憶が。これは見なければと。

番組はNHKの「Q〜わたしの思考探求」。どうやら「賢者」とよばれる先生と生徒との対話、のように進む番組みたいです。リッチ。
テーマは「なぜ戦争はなくならないのか」。ややや、これは大きなテーマ。

内容は、というとじつは先週の土曜日夜の放送でぼんやりとしか覚えていないのですが、覚えているのはリーダーの資質によって紛争が起きる、との指摘や、戦争は儲かるというお話。これは、確かにそうかもしれないと考えます。ここは一つ、デザインという視点で考えてみよう。

儲かる、という話とは別かもしれませんが、学校でポスター制作という課題があり、社会的なテーマをということで調べていたところ世界の軍事費に行き当たりました。ただこれだけであればいいのですが、一方で、世界での水問題の解決に必要とされる費用との比較を行うと、こんなバカな話はないっとかってに憤ってました。(モディファイしたのがこれ)。

もう一つ学んだ事は、デザインという職能は、その職能故にその片棒を担ぐこともままあるということ。グラフィックデザインでは、広報、広告、宣伝などというのは、必要でありながら、大衆操作やプロパガンダマシーンとして機能することもあります。こりゃーキケンという自戒ももちつつ(そんな有名作品つくれればいいですねー、と。。。いう自戒も)。

これらをふまえて、調べモノをしていくと、興味深い活動もされていて、マエキタ伊勢崎研究室というところで行われている「HIKESHI」という概念と「ピースアド」というアプローチ。
Webにある「表現の力でチャーミングに世界を変える」、というコメント、このチャーミングってのがいいです!

サヘルさんの美貌と合わせ技で、チャーミングに世界を変える、これ、遅ればせながら今年のとっかかりのコトバに。


米中メディアにみる鏡像反転

新聞への広告出稿がWebのそれを抜いた、とか、日経新聞が有料のWebコンテンツ配信を実施するなどの報道を受け、メディアについて考えた。というか、考えていたし、考えてみます。

思うのは、メディアについて2冊の本を読んで、全然コンテンツが違うはずなのに、ほぼ同じことが書いてあって興味深いということです。例によって本が手元にないために霞の向こうから記憶を呼び起こしますので、不正確なところはどうかご容赦を。

さて、一冊は、N.ChomskyとE.S.Harman の「マニュファクチャリング・コンセント、マスメディアの政治経済学」という本。
プロパガンダモデルと呼ばれる観察によって得られた仮説の検証を行った著作です。主にアメリカの新聞等のメディアについての分析を行いますが、メディアがどのように世論操作を行っているのか、ということについて主張しています。
これは1)メディアの所有者はだれか2)利を与えるのは誰か3)情報ソースはどこか4)攻撃をするのは誰か5)非難対象はなにか、というモデル、あるいは構造と言い換えてもいいかもしれませんが、それがどのように機能しているのかを取り上げています。
例えば、東西冷戦下のポーランドで殺害された神父の報道については、犯行が東側当局とされ、その死体の状態や経緯などが詳しく報道されたが、一方、同じ頃におきたエルサルバドルでの尼僧の殺害事件などでは、米国が支援していたと思われる政府軍の犯行であると言われおり、その報道は控えめに、かつ、メディアとして自制した内容であったとされています。
つまりは、メディアが報じる内容は、そのメディアの取り巻く利害得失によって異なってくることが明白であるということになります。その上で、あたかも合意が生成されたかのような体裁をとりますが、実際には何らかの意図に基づいた捏造であるぞ、とこうなります。

もう一冊は、「中国の嘘ー恐るべきメディア・コントロールの実態」という本です。この本は、中国国内でいかに真実の報道を行うことが難しいか、ということを説明した内容となります。
中国国内で報道される内容は、ほぼすべて中央発の内容であり、新華社や中央電子台での報道内容はすべて中央の方針にそって行われている、とのことを説明しています。
また、特徴的なのは、情報というのが、属している社会階級によって得られる内容や質が異なる、ということにあるそうです。
例えば、ある地域で役人の汚職に端を発し暴動が起きた、と仮定します。この情報は、当然ながら中央に伝達される可能性が高いです。(ややこしいのは、暴動がおきたとしても、中央に察知されることを恐れる地方の役人などがその事実を隠蔽するという二重構造になっていることもある、ということです。)この情報は、中央にはフィルタリングされることなくあがったとしても、一部の階級の人にしかしられることがなく、たとえ一般民衆に報道されたとしても、サボタージュとしての批判となるか、あるいは、その汚職を払した別の役人をたたえる、といった構造に書き換えるかして、実際の問題とは異なる論点にすり替えるということがなされる、ということがあります。
さらに興味深いのは、そのような報道を逐一中央が行うのではなく、報道機関がその意向に添うように報道内容を選択し編集する、ということが有るそうです。

この2冊については、イデオロギーが異なるはずの米国と中国を主な対象としているにも関わらず、報道についての結果はほぼ同じじゃないか、ということに驚かされます。
つまりは、メディアの報道は誰にとって有益なのか、ということが、記者個人の良心如何に関わらず、報道機関が存立する構造から規定されてしまう、という事実です。
報道の自由が無い、といって中国を批判するのは容易いですが、米国にしても向いている先きが異なっているだけで、自由な報道は無いとも言えるわけです。日本においても、当然ながら出資するスポンサーには逆らいにくいし、免許を与える機関に対する批判もしがたい。宗教団体の資金は侮れなかったりしますし。

ただ、当然米中で異なる点はあります。
米国では、上記のような分析と批判は自由にできます。メディアに取り上げられるかといえば否ですが、主張する権利もあるし、それを妨げる規制も少ない。そのニュースが大々的に取り上げられるか否かは、何れかの資本にとって有益に作用するかどうかという一点につきるとも言い切れるわけです。そうでれば、ウォーターゲートのように、政治中枢を暴くこともやぶさかではない、とこうなります。
つまりは、政治に優先する資本がメディアをコントロールしているといえます。
中国の場合は、政府批判をすることは危険な行為であり、正確な報道等を行おうとすると機密漏洩や国家反逆の罪に問われる可能性があります。しかしながら、個人的な観察では、購買行動を喚起するような報道や広告、広報は規制されないし、お笑いや下世話なメディアコンテンツも政治風刺に関わらない限り、自由に行われているようです。よって言えることは、資本に優先する政治によって、メディアがコントロールされていると言えます。

以上のように考えていくと、なんだ当然のメディアリテラシーじゃないか、という結論に行き着く訳でもあります。その上で、個人的にメディアに注意を払うべきだとしたら、有るべき論の展開であったり、宗教的な言説の論調であったりします。ということで、くわばらくわばら。

(以上のことを相対化するには、やっぱり海外メディアにふれることなのかなーとおもうわけです。例えば、APのニュースをよく見ますが、昨今トヨタのことが結構でてきます。安全というある意味では有るべき論から非難をされてますが、おそらく、トヨタのもつ内部留保を市中にはきださせて、日本から資本を本格的に引きはがそうとする作戦なのかもともおもいます。モノづくりとは別の次元でことが動いているというにおいを感じるのも、こういった報道からだったりします。。。)

こちらは映画になってDVDもあったりします。