まずはマレーシアから
マレーシアは知人のN君が赴任しているという事で、すごく快適!な旅行となりました。改めまして感謝感激。
で、その結果としてなのですが、マレーシアで働く日本人や、その暮らしというのをかいま見ました。気づいた事思った事をいくつか。
1. 都心は先進
どんな街なんだろうとおもったら、拍子抜け。スタバもZARAもiPhoneも、すべてあります。日本で生活するときに必要だったりイメージするものはほぼ手に入りそうです。それに、ショッピングモールも、ここはヒルズかららぽーとか?と見まごうようなもの。
もちろん、地方に行けばこれらは無いのだろうけれど、欧米の人が欧米の生活スタイルのまま、マレーシアでは暮らす事ができると思います。リタイア後の移住先としてマレーシアに住む人が多いとは聞いていたのですが、全くなっとくです。
2. イスラム国だ。
イスラム圏とは知ってはいたのですが、入国時から、やっぱり!と。入国審査ではチャドルで目しかだしてない女性の方とか普通にいて、まずは膝を打ちました。
また、現地では主に自動車で移動をしていたのですが、パーキングエリアのような場所には、決まってモスクというか礼拝所が併設されています。公共施設としての位置づけなので、国家が支援をしていることがこういうところでも理解できます。
イスラム美術の博物館にもいったのですが、自国の文化を象徴する文物として美術品を位置づけているのも、イスラム国家だと理解できました。そして、お酒がお高いのも、イスラムだな、、、と。
3. とはいえ多民族国家
N君によると、マレー系民族と、中華系の民族、華僑系の民族がいるらしく、街をあるいてももちろん、顔つきや皮膚の色、着ているモノなんかも全然ちがいます。それとあわせて、ちょうど統一記念日みたいなのがあったらしく、カーラジオやテレビからは意識統一のスローガンや唄、映像がちらほらみられました。
さらに面白いなとおもったのは、日用品。長距離バスターミナルをぶらぶらする機会があったのですが、キオスク的なお店に、”kedairakyat 1MALAYSIA“のスローガンの入った食品やシャンプーやらが売られていました。きっと旅のおやつやお土産なんかに購入されことを見越して地方に意識を伝達しようとする広報意図をびしびしと感じ、また、マレーシアの国の重要政策の一つがこの民族問題なんだろうと感じた次第です。
4. 食事 パンミーうまい、そしてカーネルサンダースおじさんすごい
食事はあたりはずれがありましたが、N君おすすめだったのが、パンミー。これはうまい!煮干し的なのがのった麺料理なのですが、その出汁がなんともおいしいです。これ、また食べたいです。
あと、今まで浅はかだったなぁとおもったのは、ケンタッキーフライドチキンの存在。日本にいると
、カーネルサンダースおじさんのところでそんなにみんな食べたいのかなぁ?とおもってました。
つまり、選択肢の一つとしてそれもあるけど、程度のブランドとチェーン店。
でも、世界でみれば。そういう事ではないんですね。宗教上の理由から、豚肉を食べれないイスラム系の人、同様に牛肉を食べれないヒンズー系の人々など、他民族国家でじゃあ一緒に食べれる肉料理はなにか、それが鳥なんですね。
マクドナルドも普通にありますが、宗教を超えてグローバルスタンダードとして歩があるのは実はカーネルのほうだったのか、と膝を打ちました。
ちなみに、そういう意味では、魚介もOKなので日本料理も参入の余地があるんですね、これが。
5. 通信は
現地では携帯つかってました。これも快適。詳細はこちらのブログで。
5. LCC
昨今、日本でも話題になってますが、Low cost carrierの一つであるAir asiaを利用して出国しました。ターミナルまでは、クアラルンプール中央駅から黄色い方の高速バスで移動しました。だだっ広いところにカウンターがあるんですが、必要十分。
現地感覚ではわかりませんが、いつでも数千円で隣の国にちょろちょろ移動できるのはたいへん魅力的です。個人的には、このハブ機能を使うためだけにマレーシアに行く事はやぶさかではないぞというのが実感です。
などと、駆け足でしたがマレーシアをちょっとタッチした印象はこんなもの。都市部とその機能は先進諸国と同様にどんどん便利に快適になっているようでした。その一方、ヤシ畑脇のハイウェイを駆け抜けて郊外への観光やジャングルにも分け入りましたが、それはもう熱帯であり、マレー半島の原型があるのではないかと感じました。
これらジャングルの風景は、おそらく60年前の日本人も見ていたのかと思うと感慨深いです。
その上でおもうのは、当時の人は戦闘のため生命の不安があったり、占領することによって暴挙を行ったりしたのかもわかりません。が、暮らしてみて案外この場所いいかも、と思ったんじゃないかと想像してます。そして生活してみて、現地の人とコミュニケーションをとる事で、新天地を見いだす人もいたのではないか、と感じました。
ほとんど赤道直下でありながら、思いの他、近さを感じる国です。