メディカルロボ防衛

外科治療とロボットについて。

ニュースサイトをみていたところ、ロボットによる兵士治療システムが研究されているとのこと。編集の妙で、医療技術が軍事利用というニュアンスで書かれていますが、実際には別のプロジェクトと思われます。

米国の手術ロボット

しかしながら、救急医療については、兵士の生存を目指すことの目的が、通常時よりも明確であり、探求も深いといえます。
すなわち、いかに兵士の生命を保護するかということが、傷ついても助けてもらえるということで兵士の士気が向上することにつながります。

これは何も実戦だけではなく、日本においてもあること。
よく救難救急などで自衛隊のヘリが派遣されることがあります。
航空自衛隊では、陸上や海上との違いまではわかりませんが、すくなくとも航空機が墜落し、敵地や極地に落ちたとしても絶対に助けにいく、という使命のもとに救難の部隊が存在意味があるそうです。

具体的な機器開発としては、例えばSonositeという会社のポータブルな超音波画像診断装置があります。
これは、災害現場でもつかえるし、小さな病院でも病床まで簡単に運ぶことができそうです。
この開発は、米軍からのオファーに基づいて行われたそうです。このような事例は日本ではあまりないのではないかと思います。

日本では、軍事利用ではないアプローチで、生命を守る機器開発が必要だと感じます。


Medical Design Excellent Award 2009

Medical Design Excellent Award(MDEA) というものがあります。アメリカの医療機器についてのデザインアワードです。

分野ごとカテゴライズされていますが、まずは医療機器といってもたくさんの種類があることに驚きます。そして、みたことがないような機器が登場して、興味深いです。
デザインという視点から、医療機器を評価している点も面白いです。これもデザインなのか!という商品も多いです。

例えば傷を塞ぐ接着剤?みたいなモノが受賞しています。

じつは、いわゆるシアンアクリレートを使う、アロンアルファだろうと思われます。
従来、緊急で傷を塞ぐために、アロンアルファを使うということは知られていますが、それを医療機器として特化しちゃったことに驚きを感じます。

レモン?じゃなくてこれは補聴器。

耳の奥まで挿入して装着しているのが見えない、120日電池が持つ、とこうあります。
従来の補聴器は大きくて、耳の外に何か装置があることが多かったですが、この補聴器は、全く見えません。
ある意味では人工臓器としまで位置づけられるような、絶妙さを持っています。
別のデザイン賞でドイツのiF賞というのがありますが、たしか初年度の(1954年ごろ)受賞対象も補聴器でした。それが50年以上を経て、進化したのだなーとおもいました。

日本においてはデザイン賞としてグッドデザイン賞(前身がグッドデザイン商品選定制度)があります。1984年に対象を一般商品から産業機器などへ拡充したことで、医療機器も選考対象となり、多数受賞しています。
しかしながら、MDEAほどカッティングエッジな商品はあまりないのも事実だと思います。
おお、なんだかそわそわせざるを得ません。

Good Design Award
Medical Design Excellent Award(MDEA)


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感覚と感性と感情について

感覚はsense、感情はemotion、では感性は英語でなんと言うかというと、kanseiとなり、これは日本あるいは、東洋的な概念なのかもしれません。実際には、このあたりの訳出は、ことばを使う分野によって異なっていて、選択が難しいですね。

感覚に関連して、知覚ということばがあります。これは、英語だとすると、perceptionといった感じでしょうか?

心理学用語としては、感覚は単純な感性情報を指し知覚は複雑な感性情報です、と書かれています。さあ、こまった、感性が登場してきました。

私自身の考え方としては、感覚→感性→感情というプロセスを経ると考えています。

感覚は、生物が物理的に受ける刺激、すなわち受動的な方向だと考えることができます。暑かったり寒かったりは、皮膚が正常であればその刺激を遮断することができません。よって、これが感覚。

では、感性は何かと考えると、得られた感覚を、個々人の受容するフィルタによって選択された刺激であると考えることができます。
例えば、色彩については、民族や文化によって異なっています。日本人は虹の色を七色と答えることが多いですが、6色や5色、あるいは2色という民族もいたりします。この違いは、実際には、緯度の違いによって自然光の色温度が異なったり、目の色の違いなどが影響するといった、客観的に指摘できる条件の違いと、共通感覚論のように、社会成員によって意識かにインプリメントされ形成された合意に基づく識別であったりするかと思います。
このように、感性というのは、客観性と主観性とが変換されるプロセスで生じる刺激の変換子ととらえることができます。

そして、その感性に基づいて、主体としての刺激受容者にどのような脳内現象が引き起こされたのかという結果が感情であると考えます。ただし、感情というのは難しくて、嬉しいけど悲しかったり、怒りを感じるが愉快、みたいに、感情のコードが輻輳することがままあります。そして、先ほど述べましたが、あくまで結果として得られるのが感情であるならば、なぜその感情が得られたのか、ほんとのところは誰もよくわからないと言えます。
もちろん、喜怒哀楽ということばがあるように、ある程度区分できるし、こうしたら楽しいなーとか、これは嫌だ、という他者の感情を推測したり想像したりすることはできます。その合理的根拠は、じつはあまりなかったりするのが実際ではないのではないでしょうか。

無理矢理これを式で書くと、感覚をs、感性をk、感情をeとすると、
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当然、5感とか感覚部位とか、個々人に備わる感性とかの違いを反映しつつ、感情はこっちの方向にいってからこうなります、という説明ができたらいいな、と考えています。願わくば、こんな感じでぐるぐるするような絵にしたいものです。
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では、デザインにおいて、これらのことがどう関係するのかというと、デザインする対象については、感覚に適合するモノゴトをつくりだし、ユーザの感情が動きだすことが素敵な結果です。これを目指したいものです。
そのためには、感覚と感情の間に位置づく感性の器を大きくすること、これがデザイナーに求められるのではないかと考えます。いろんな感覚を受けて感情を動かすのが大事だったりするのでしょう。

そーするってーとオチは、愛だよ、愛、こうなります。
ただやっぱり古いので、はやりとしては、夜は短し歩けよ乙女でもいいかもしれません。