これも自分と認めざるをえない展とガラスの沓

”これも自分と認めざるをえない”展にいってきました。(けっこう前に、、、)

だんご三兄弟、ドンタコス、ピタゴラスイッチなどなどの仕事をしてきた佐藤雅彦さんディレクションの展示会。
21_21デザインサイトで開かれています。

テーマは属性、ということだそうです。
いきなり、身長体重を計測・計量されるし、指紋とられたりするしで、なんだなんだ、とおもいつつ、実際に展示を見ると、なるほどと思いつつ。

自分が認識している属性と、認識していない属性、それをいやがおおにも突きつけてくるインスタレーションが繰り広げられています。
自分の脳みそが、如何にいい加減であるのか。また、自分の身体って、こうなってたのかと気づかされる展示です。
まるで、おとなのための遊園地、とでもいいましょうか。楽しめます。

ただし、非常に都会的、サイエンティフィックな展示といいましょうか、私はあなたの家族です、ていう素朴な属性ってどこにあるんだっけ?とも考えました。自分は自分であると認める、という事と、他人が認める自分、および、機械に計測される自分、ということとか、自分というのはなかなか難しい問題です。

では、デザインとどのような関係があるかについて考えると、従来は社会制度上自分と認識していたこと、および、自分と認識されていたことが、人間味にかけるとかどうとかに関わらず、どんどん技術やロジックによって計測可能な自己となっていくでしょう、ということ。
その上で、どのような社会になったら嬉しいのか想像する事にあるのかな、とおもいます。

まあ、個人的には、個人情報によって不利益をうけるような仕組みはたのしくないですが、たとえば、笛が吹けるとか、血小板の型が一致するとか、(ガラスの沓がはけるとか、、、)、そういう属性によって自分も嬉しいし、自分では無い人に喜んでもらえる可能性が広がるとかの社会はハッピーだろうと想像します。もちろん、これらの属性は、これも自分と認めざるを得ないというよりも、これは自分だと認めたい、あるいはこれは自分と認めてもいいかな、といった同意の手続きを踏んでいることを前提としていたほうがよいと考えます。

同意という手続きは、実際はめんどくさいだろうと想像されます。しかし、結構めんどくさい仕組みに設計しておくのも、実は重要な設計かもしれないと考える次第です。

ということで、まあ遊園地気分で近くの方は是非いってみてください!


これも自分と認めざるをえない展


蛇口と投函と歯痒さ

iPhone撮影例
JAXAiにてiPhone4で撮影

iPhone4を入手、してから1週間が経とうとしています。徹夜して並んだのが既に遠い過去です。。。

結論からいうと、従来のiPhoneより速く快適になったという、スペック上でわかる利得を新規デバイスから感じています。

できる事が増えているといえば、動画を撮影できたり、コンパスを使えたりできるくらいでしょうか。そういう意味では、特に目を見張るようなことはありません。

新しいApple製品が一通りそろったところで、iPad、iPhone、Macの棲み分けを個人的に整理してみますと。

Macはやっぱり物書きやら作図やらには欠かせません。すなわち、何らかのコンテンツをつくって貯めていくためのデバイスといえるでしょう。使う場所はもっぱら自宅。図書館や喫茶店で使う事もありますが、まあ、それは作業の延長でしかないです。

iPadは何に使っているかというと、ベッドサイドでごろりとなりながらブラウジングをしたりしてます。特に利用頻度が高いのは、動画を組み込んだニュースアプリの閲覧です。それに加えて、業務的には、その場で話題にでたニュースサイトやコンテンツを閲覧すること。このためには、単にディスプレイを囲んで議論ができればいいのでナイス。プロジェクタと違って、同じ方向をみんなで見つめて黙り込むのでは無く、iPadを囲んでディスカッションがナイスな使い方だと勝手に考えています。

そしてiPhoneですが、もっぱら移動中はこれです。音楽を聴く、道を調べる、などは、もはや手放せない存在であることは確かです。それに加えて、iPhone4になったことによって気づいたことは、自分が世の中の事象をデジタル化してネット化するための身体の延長であるぞ、とこういう事です。

例えば、先日街を歩いていると、見かけない光景に出くわしたので、写真を撮ってツイート、そして、動画もとれるということで、音と映像をyoutubeにアップ。これがマシンスペックによって簡単で素早く行うことが可能となりました。さらにドコで起きた事なのかも、GPSのデータによってタギングできます。

こういう事が、なんと簡単にできるのか、と感動した次第です。

思い起こせば、大学では写真部に所属していて、由無し事を写真にしては展示会に出してたものです。なぜそんな事をしていたかといえば、小さい頃に石川文洋さんというカメラマンさんの書かれた「シャッターチャンスは一度だけ」という本を読んで、世の中には戦場カメラマンという仕事があるのか!と勝手に驚いたのが起源かなと考える次第です。

つまりは、出くわしてしまったというミラクルをシェアしたい、という希望をiPhoneはいとも簡単にできてしまう。これは個人的には本当に望んでいた世界でもあります。そのためのツールとして、音も映像もそして場所さえもを即座に知らせる手段が手のひらに収まっていることに改めて驚愕する次第です。

情報の蛇口ではなく、こちらからの投函口である、という使い方。これがどんどんできたらいいなー、と思う今日このごろ。

ただ、iPhoneの事をお伝えするための写真をiPhone自身では撮影できないという、この歯痒さは如何に。


幾何的な生態系

News app capture image
ニュースアプリ

iPadを入手し、使用開始から56時間ほど経過したでしょうか。このうち、さわっていたあるいは観ていた時間はまだ10時間ほどだろうとおもいます。

個人的に気になっているのは、各社のニュースアプリ。BBCは起動画面がカッコウイイ。APはインタラクションがすごい。なかでも、France24のアプリは、新聞とも、テレビとも、雑誌ともつかないつくり。操作しなければならない、というスタンスと、操作をしなくてもいい、というつくりがいいあんばいなのであろうと思います。

操作しなくてはならない、という切迫感よりも、気が向いたときにいじればいい、という緩いインタラクションが、例えばtwitterやらと似ているように思います。

人間が楽できるためにプロダクトが存在していると考えるならば、プロセッサの入っている機器はすべて自律的な生態系をつくってもらえるのが望ましい。入力と出力という関数的な捉え方ではなく、機器の振る舞いを人間がディスターブする、あくまでも、幾何的な存在としてiPadを使えるのではなかろうかと考えています。

さて、それはそれで、入力しないと出力できないという、生命の理にしたがって、いろいろな入力を求めてはぶらぶらする訳です。今回はICC(Intercommunication Center)へ。

ICCはNTT東日本が運営しているメディアートなどの作品を展示したり、イベントを開いたりしている場です。
先ほど、今年のテーマ展示が開始されたので、初めて訪れる事に。衝撃の作品はクワクボリョウタさんの《10番目の感傷(点・線・面)》

暗い部屋の中に電球のついた鉄道模型が走ってるという、つくりとしては非常にシンプルなもの。その結果、壁面に影ができるというアナログな表現。なのですが、これは面白い!影が伸びたち縮んだり、そして突然の闇と突然の青空(的な表現)に出くわします。ハコに入らないと感じることはできませんが、すごく心地よい。

なにがいいのか?というと、このプロセスの明快と常に移ろって生成されるイメージ。これらのロジックに文字通り包み込まされるというではないかと勝手に考えています。
翻って、日々の生活におけるシステムは、ほぼその仕組みを100%理解する事が難しくなっています。仕組みを利用して目的は達するけれど、もやもやとした不可解感は常に身体にこびりついているはずです。
自然現象であれば、それはそういうもんだと受けいれることができますが、人工物であれば人知の範囲であるはずなのに、そうもいかないです。

その意味では、今回の展示は、わずかな知的資源でもって存分に理解し共感し得るという点において、都市の中の一角で展示されている価値を個人的には見いだしうる訳です。
などといってもわかりにくいので、ぜひお時間あったら行ってみてください。太っ腹で入場無料です。

補足ですが、展示にあたって出展作家さんの公演もあったりで、外国からの作家さんの話を聞いたりもしました。突然プロモツールを配布するなど、ビジネスマインドも重要だよな、と思いつつ手に取ったポストカードは英語と中国語表記でした。日本なのに!
現代アートも、ブレードランナーの世界のなかで育っていくのかもしれません。。。