中国のデザインとネットと模型店

しばし中国に。今回は中関村という、北京の電脳街とよばれるところへ仕事のようなものでしばし行って参りました。タイミング悪く、反日デモということも報道されていましたが、北京では至ってへ平穏。親切な人は親切だし、愛想悪い人は悪い。そういうもんです。

さて、今回も結局のところは中国におけるデザインについていろいろと頭を悩ませたのでいくつかのトピックと考察を。

1)立体
まずは、プロダクト関連について。
デザイン制作をするための資材入手、具体的にはスプレー塗料入手で困りまして、いろいろと探しまわりました。日本だったら、東急ハンズとか大型ホームセンター、100円均一ショップなどでいろいろと手に入りますが少なくともぶらぶらしているだけではそういったお店が見つからない。で、スプレー塗料はある事にはあるのですが、下塗り用のプライマーがない。

model shop
model shop in China

電脳街だからきっとなんかあると思ってググってみたところ、見つかりました。新?模型というお店。こちらは飛行機や戦車などのスケールモデルが専門のショップで、なんとMr.hobbyやTAMIYAのスプレー塗料がそろってます!北京でプラモつくろうとはなかなか思わないですが、必要があればぜひ。

ちなみに電脳街の電気店、巨大なことに驚きますが、基本的には個人商店のあつまり。同じ商品がいろんな店先で売られているので、どうかっていいのかは全くカオスです。また、奥の方を探索すると、人の手で古い基盤から1/4ピッチのチップの半田を溶かして外してる人も。。。すごい。

2)ネット
ネット事情について
それなりにwifiが拾えますし、空港でもOK。しかしながら、やっぱりしばしば切断されます。Googleで検索すると、中国国内だと基本的には中国のgoogleで検索がかかります。で、twitterやustreamはインデックスには表示されますが、接続はできません。
なので、中国内でなにか検索するなら中国内のサイトで検索するのがよいのかも。

また、そういう事情から、Facebook等も使えないため、中国国内でのSNSが発達しています。いろいろあるらしいのですが、例えば、Facebookとそっくりサービスで人人(renren.com)というのがあります。登録したものの、基本全部簡体中国語なので、意味はふんわりしかわかってません。。。昨今話題になっているSNSアプリも豊富にあり、すごいビジネスになっている模様。三国殺というアプリがはやっているらしいです。
それに、スマフォ対応で物議をかもすメッセンジャーではSkypeがあります。これは中国でも使えるのですが、QQというほうがメジャーだそうですよ。

そのほか、中国国外にいるとあんまり使う機会がないとはいえ、遮断されているからこそ独自の発展を遂げている中国は注目です。ディープです。

3)グラフィックデザイン
こちらも悩ましい、中国的なグラフィックデザインです。写真やレイアウトはいいとして、やっぱり問題になるのは、文字。黒体や宋体についてはわかるのですが、その他のフォントについてはどうしたのものかと。で、次に見つけたのが??体(漢字が出ない。。。)という書体。なんか中国的な気がします。よかった。

Chinese typography
Chinese typography book

他にも勉強しようと書店に行ってみたのですが、ここでも驚きです。以前みたときにはあんまりないなと思っていたのですがさにあらず、中国語のデザイン本やコンピュータ関連書籍が山のようにあります。しかも、グラフィックデザイン関連の書籍に関しては、教本としての大学などの出版会が出している本がたくさんあります。思わず数冊かいこんで研究中です。(読めないのですが)。

そんななかでも面白いのは、漢字で書かれたタイポグラフィの事例として、かなりの数の日本の作品が乗っているのです。進め!電波少年とかのってて、なんと懐かしい!と思ってみたり。
さらに、インタフェースデザインの例としてGirls Genelationのwebサイトがのってたりと、なかなか楽しげです。

4)デザイン教育
最後にデザイン教育について。
少しデザイン系の学生の方と絡む機会があったのですが、その優秀さに驚愕しました。英語しゃべれるのは当然として、作品の完成度がすごくたかくて、こりゃいかん!と思ったしだいです。
大学は清?大学というのは中国で一番にランキングされる大学だとwikiにかいてあり、東大とか京大とかそういう大学だそうです。構内にも少し侵入しましたが、北京市内に広大なキャンパスがあり、よい教育環境です。大学組織は面白くて、日本なら学科レベルの機械工学とか建築とかが大学組織直下として一つになっています。

その大学内に、美術系のアカデミーがある訳です。欧米の大学では総合大学では美術系の研究科がありますが、日本の場合はもっぱら美術大学として独立しています。たとえ美術系があったとしても、文学部の中に組み込まれたりしていて、全然その価値がわかられていないようです。

ちなみに、この大学の名前がついた清?大学出版社というところの本も入手しました。イラストレータのテクニック本で、日本では書籍になかったり、大学の名前がついたような本では絶対扱わないアプリケーションのハウツーをどうどうと記載しています。

こういったテクニックを大学教育で教えているのかと思うと同時に、最高峰の大学で経験することでの人脈や知識というものをふまえると、デザインの国際的競争力において日本の立ち位置は厳しいなと感じざるをえなかったりします。

ただし、一つあげるとすると、実務的なデザインは世界の工場としてますます存在感をましていくことは自然な流れと考えますが、かたや社会的な観点からのデザインが今後どのように展開していくかに今後注目するべきかと考えます。
これは個人的には、中国人の国際的建築家が出現したときに変化が起こるのではないかとかんがえています。例えば北京五輪では欧米建築家がフューチャされていましたが、一方東京五輪の際には日本人建築家にデザイナーが最前線で活躍していました。こういったことが、今後中国で起きるか否か。
逆に、どこまで日本などのデザイナーが先きにいけるかというとこういった分野かもしれないと考えます。

などと、結果的にはまだまだ修行が足りんなーと思った次第の中国レポートでした。


幾何的な生態系

News app capture image
ニュースアプリ

iPadを入手し、使用開始から56時間ほど経過したでしょうか。このうち、さわっていたあるいは観ていた時間はまだ10時間ほどだろうとおもいます。

個人的に気になっているのは、各社のニュースアプリ。BBCは起動画面がカッコウイイ。APはインタラクションがすごい。なかでも、France24のアプリは、新聞とも、テレビとも、雑誌ともつかないつくり。操作しなければならない、というスタンスと、操作をしなくてもいい、というつくりがいいあんばいなのであろうと思います。

操作しなくてはならない、という切迫感よりも、気が向いたときにいじればいい、という緩いインタラクションが、例えばtwitterやらと似ているように思います。

人間が楽できるためにプロダクトが存在していると考えるならば、プロセッサの入っている機器はすべて自律的な生態系をつくってもらえるのが望ましい。入力と出力という関数的な捉え方ではなく、機器の振る舞いを人間がディスターブする、あくまでも、幾何的な存在としてiPadを使えるのではなかろうかと考えています。

さて、それはそれで、入力しないと出力できないという、生命の理にしたがって、いろいろな入力を求めてはぶらぶらする訳です。今回はICC(Intercommunication Center)へ。

ICCはNTT東日本が運営しているメディアートなどの作品を展示したり、イベントを開いたりしている場です。
先ほど、今年のテーマ展示が開始されたので、初めて訪れる事に。衝撃の作品はクワクボリョウタさんの《10番目の感傷(点・線・面)》

暗い部屋の中に電球のついた鉄道模型が走ってるという、つくりとしては非常にシンプルなもの。その結果、壁面に影ができるというアナログな表現。なのですが、これは面白い!影が伸びたち縮んだり、そして突然の闇と突然の青空(的な表現)に出くわします。ハコに入らないと感じることはできませんが、すごく心地よい。

なにがいいのか?というと、このプロセスの明快と常に移ろって生成されるイメージ。これらのロジックに文字通り包み込まされるというではないかと勝手に考えています。
翻って、日々の生活におけるシステムは、ほぼその仕組みを100%理解する事が難しくなっています。仕組みを利用して目的は達するけれど、もやもやとした不可解感は常に身体にこびりついているはずです。
自然現象であれば、それはそういうもんだと受けいれることができますが、人工物であれば人知の範囲であるはずなのに、そうもいかないです。

その意味では、今回の展示は、わずかな知的資源でもって存分に理解し共感し得るという点において、都市の中の一角で展示されている価値を個人的には見いだしうる訳です。
などといってもわかりにくいので、ぜひお時間あったら行ってみてください。太っ腹で入場無料です。

補足ですが、展示にあたって出展作家さんの公演もあったりで、外国からの作家さんの話を聞いたりもしました。突然プロモツールを配布するなど、ビジネスマインドも重要だよな、と思いつつ手に取ったポストカードは英語と中国語表記でした。日本なのに!
現代アートも、ブレードランナーの世界のなかで育っていくのかもしれません。。。


メッセージとマッサージ

遅ればせながら、iPadをさわらせていただきました。ありがたい話です。

iPad
iPad

所感としては、一つ、ディスプレイがきれい、一つ、片手で持つのは大変、一つ、実際使うとなると傷だらけは覚悟、といったところです。生活の中では、積まれた本の上に置かれることが必至じゃないかと勝手に合点がいっています。

さて、このこの数ヶ月、インターネットのサービスやコンテンツが、実際にぐっと自分の生活を包み込んできたような心持ちでいます。これは、個人的な感覚なのか、それとも本質的な変化であるのか、奇妙に思っていました。

個人的に感じる、iPadの可能性やネットの変化、これがどれくらいのインパクトを今後の社会にもたらすのか。例えば家族や知人は、そういう方面は全く疎いので、説明してる自分が変なのかも?などと若干不安になることもしばしば。じゃ、どうするかということで、直感がささやいたマクルーハン先生をひもといてみました。直感なので、適当なことも出てきますので、その辺りはひとつ。。。

マクルーハン先生というのは、「メディアはメッセージである」ということばが有名です。このことばは何を意味しているかというと、情報伝達において、その意味する情報の前に、その情報が伝達されうる媒体=メディアそのものに、重要な意味があるという主張です。(という雰囲気がwikipediaにかいてあります。べんりですね!)

さて、メディアというコトバについて、ほんの数年前までは、電話に新聞や雑誌、テレビやラジオ、最後にwebブラウジングという、メディアに最適化されてきたモノと情報が密接に絡み合い、そのプロダクトを使うことによって、だれもが違うメディアであると識別できうる存在でした。

もちろん、それらの成り立ちや得手不得手、社会的位置づけはまちまちで、それゆえに「メディアはメッセージである」ということばも比較的実感をもって理解することができました。

ただし、今取り上げようとしているメディアはそれとはことなります。取り上げようとするのは、twitterとよばれるマイクロブログ、ustreamというネットの映像配信プラットフォーム、そして、foursquareとよばれるジオタギングをメインとしたプラットフォームです。これらをご存知のものと仮定して、、、

これらにみられる共通点は、インターネットが使えればどこでも使えること、コンテンツは利用ユーザ自身であること、プライベートメディアとマスメディアが曖昧、などいったといったことがあげられます。そして、なんらかの定型的な区切り方ができないコンテンツやメディアであるといえます。

プロダクトデザインの観点から、さらにこれらを統合するならば、人間とメディアとの最後の境界1mmになにがあるかってことかと思います。その意味において、出入り口となるスマートフォンにスレートなどなどは、新しい何かのインタフェースとして、メディウムとして本来は形態を持たないディスプレイの一断面を切り取ったモノたちだといえます。イメージとしてはこんな絵になります。

cut out
こんなイメージ

従来はこれらの不定形な有象無象の空間(サイバースペース?ということにしてみようかとも思いましたが、もっと抽象的な情報空間のようなモノを想定しています)に対して、区切りを付けるためにメディアがカタチを与えてきました。が、これからは、メディアはこの有象無象をあらゆる角度から投影するためにさまざまなチャネルが開かれたものとなり、その経験はいままでとは違ったモノになると考えることができます。

そして、その中心になるのは、我々自身が何かを発信したり受信したり転送したりといったアクションになるのではなかろうか、ということになります。
マクルーハン先生は、このような概念を、「グローバルビレッジ」ということばで表していたのかもしれません。

さらにはこのような有象無象な状態をみてみると、なにかもふもふしてみたくなります。UIとしてのタッチインタフェースは操作をするという実際上の目的を超えて、カタチの見えないモノを懸命にさわってカタチづけようとする象徴にも思えてきます。

つまり、主体的に情報にアクセスしていくこと、関わりを持っていくことによって、絶えずその状態が変化していく様というのは、まさに「メディアはマッサージである」ことになるのではないだろうか、と考えます。

さて、結局のところ、だからどうするべきなの?といった着地点も見えぬまま、マクルーハン先生のコトバは個人的に腑に落ちていくという状態。はたしてこれで知人に説明することはできるのだろうか?というますますの不安がつのります。

でもきっと、有象無象が切り取られたiPadがあればクリアになるはず!ということで個人的に購入が今決定されました。