情報の腑

今まで,電子情報はいまいち実体がなくうさんくさいなー,とおもっていたのですが,イーサネットに機器をぶら下げることを考えていて,腑に落ちました.腑に落ちただけで,言語化はできてないけれど,とりあえず書いてみる.

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というのも,フィジカルコンピューティングについてあれこれ考え,コンピュータから”こちらがわ”に情報が実体として出てくるイメージをもつことができたから.

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通常ならば,ディスプレイの画像情報や,スピーカからの音声といった,目を閉じて耳を塞げばシャットアウトできることが,パソコンから提供されているというイメージ.

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機械について専門と嗜好を持っているので,これだけでは,何とも心もとない.金属のひやっとした感覚や,エンジンの振動が伝わってくることもない.

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ところがコンピュータから,物理的に何か力をコントロールできることができるよね,って当たり前のことに気づき,かつ,それはネットワーク越しでも全然OKという技術も垣間みることで.はたと気づきました.

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ネットワークを介してやり取りされる情報が,機械的な出力を持てば,力学エネルギーにあたかも変換できるように見える,ということ.

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単純な話では,ロボットの遠隔操作でもいいのですが,操作するという行為が符号化されて,ネットワークを流れ,そしてアクチュエータを動かすという力学に変わる.

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エネルギー保存の法則には,もう一つ,情報量の保存の法則が乗っかっているのではないかということが想像できる.

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このあたりは,現在の思考と研究とは別に,新しく考えて行きたいこと.


風とモノ

設計に関する本を読み返している.

読み返すたびに,大学学部で勉強しておいてよかったと思うひととき.

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デザインと設計って何が違うのか?というのは,説明が難しい.

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ここに,岩波講座 現代工学の基礎 「設計の理論」と「デザイン論」とがある.(デザイン論は,技術関係系と分類されていて,やっぱりプラスアルファのような扱いか,とがっかりしちゃうのですが)

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二つを読んでみて,設計とデザインでなにが違うかというと,せっかちさんか,そうではないかという二つの側面.それで,また大学学部の講義を思い返す.

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「風力発電機」なるものを課題で製作しましたが,大きくは

1)ダイナモまでの減速比の設定

2)筐体の固定

3)受風エネルギー

といったことがが思い返される.

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個人的には,初期の駆動トルクを得られるだけのギアの減速比を決めてやったら,あとはその他の問題ということでできたじゃねぇか!と思いましたが,軸の断面2次モーメントやら両端指示ばりだからたわみ量ととか計算せよ,といわれてめんどくさいなー,と思ってました.

これに対しては,ぶれが生じる可能性のある回転軸の中央部にはギア等は取付けないでおけば問題ないし,そもそも端部だけ旋盤で加工すればよいから楽じゃん,などと思ってました.

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筐体の固定についても,角柱に平板を乗せるのですが,その固定ジグをL字アングルだけで対向させて取付ければ,2軸の曲げに対応できると絵に書いて考えました.やはり,ほんとに大丈夫なの?とつっこまれて,これで行けるってやっちゃいました.

この件に関しては,ねじりに対する抗力がじつはあまり無いということが事後に気づいたのですが,

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最後に,製作物に風を当てて,発電量を見たのですが,プロペラを遮る風量から得られるエネルギーは計算できて,そこからどれだけロスなく発電できるかという問題に帰着する訳です.

結果としては,予想通りの性能が得られたとともに,予想を上回る性能が得られました.

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以上のことは,あんまり意識せずつくってしまいしたが,ある意味ではせっかちにやっちゃった結果とも言えます.

この経験で,もう,絵に描いてちゃっちゃとつくった方が良いのでは?というもやもや感をもち,そしてデザインへの方向に少しずつ向かっていく訳です.

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今になって思えば,予想を上回る性能は,ある意味では設計失敗なのかもしれないと考えることもできます,それは,所定の挙動をこえる挙動であったということであるから.

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当然のことながら,デザインにしても設計にしても,所望の目的を果たすということは,当然必要となる.そのために,合理的な推論を重ねていく方法を,設計の理論では語っているし,デザイン論では,ものを創る姿勢について書かれている.この両者を合わせたところには何があるのか,それが今は大問題.


ベッドサイド180cm

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正岡子規の「病牀六尺」を読んでいる.

また読み切っていないけれど,いくつか膝を打つことあり.

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正岡子規は晩年,結核を煩い,結核菌が脊髄に至る脊髄カリエスにかかっていた.この病気は,普通の結核と異なる,骨の破壊や脊柱の変形を伴うもの.

具体的にはわからないが,祖母がリュウマチで寝たきりであったので,どのようなものかぼんやりと想像できる.

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一つは,看護論としての病床六尺.床についたまま満足に動くことができない子規は,どのように看護してほしいのか書いている.たとえば,そばにいてほしいときはそばにいてもらい,そうでないときはどこかにいっていてほしい,とそりゃ簡単にはできないだろうと思うけれど,病人の微妙な機微を感知して欲しいというのは,なるほどとおもう.

これは,ナイチンゲールの看護覚え書きにも,看護師は患者の機微を見逃さずに,病床の管理を行ったり,さりげなく,すっと介護を行ったりすることが大事と書かれており,病人側と看護する側と両者の気持ちがどうも一致するような心持ちになる.

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絵についても,かなり記述がある.誰それの画集をみた,そしてその筆跡や図案の優れたるところを述べている.病床についているからこそ,見いだせるような想像力なのでは無かろうかと思う.

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それに,弟子である碧梧桐と虚子の名前がたびたび出てくる.主に,俳句の選に関する苦言である.日本の俳句という文化を病床についているからこそ,なんとしても良くしたい,伝えたいという意気を感じます.

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そして,ほぼ毎日,新聞掲載のために原稿を書く訳ですが,いわば今のブログのようなものをすでに初めていたということになる.毎日毎日,病床においても文章を書いていくこと,発言をしていくことに,驚く.

精進精進を心がけます.