1/1000の圧縮

本が多くて困る、ということで整理をしたいとおもいつつ、次々と本を買ってきちゃってますます混乱をきたす昨今です。

さて、本は物理的に場所をとるということで、いったいどれくらい目方があるのかとおもいググってみますと、漫画でしょうか、単行本の重さを250gと仮定して計算をしておられます。

100冊で25kgもあるのか、とおもうと、果たして人間は一生のうちに何キロぐらい本をよめるのかというのは気になります。で計算してみます。
http://allabout.co.jp/gm/gc/3687/2/

以前、基礎教養は新書100冊という話をきいたので、単行本より軽い重いがあるとして、やはり25kgぐらい。旅行のスーツケースの重量制限がこのあたりなので、何となくイメージできます。

一週間に1冊本を読むと仮定し、かつすべて新書などとすると、年間約50冊。10年で500冊となます。10年で125kg。そろそろ一人で運ぶのは難しい重量となってきます。

それで、10歳のころから本を読めると仮定し、80歳まで本をよめるとすると、70年、3500冊ほどとなります。

すると、先ほどの過程からは875kgとなります。さらにもろもろの雑誌や本を加えるとすると、およそ1000kg、1t程度を読むかもしれないという計算に。

1tはさすがに持ち上げられないな。。。とおもいますが、水に換算すると1m立方にすぎ、お部屋の隅においておけます。たいしたことがないような、すごいような、微妙な量です。

人間が読める量は新聞やネットの記事などこれを増やしていったとしても、高々10倍程度ではないかなぁと想像できます。いっても100倍。年間で出版される本の数や記事は膨大で、すべてを読み尽くすことは不可能。限られた時間でどの本や情報を選ぶか?悩ましいものです。

一方、人間の脳の重さは1200-1400gだそうです。一生かかって1tの本を読んだとして、それが反映されるさきの目方は1/1000。こう考えると、1冊の本をよんだら1/1000に要約できればいいんではなかろうかという、なんの計算だかいまいちよくわからなくなってきますが、そんな気がしてきます。

本を読んだらその1/1000に要約できるか?という判断基準で本を読んだことにできるかできないかを決めるっていうルールを作れるかもしれない、という結論に個人的には至ったわけですが、新書一冊の文字数は12万から15万とあるので、1/1000で120文字。本を読んでツイートしたら読んだことにして捨てる!なんてできたらかっこうぃいなあと思いつつ、本の内容を1/1000にしてくれる素敵プログラムがきっとこれから登場するんだろうなと想像しつつ積ん読本を眺める年度末です。


NO NUKES 2012, UST, Logo

NO NUKES 2012 2日目に行ってきたよっと。そもそもイベントがあるとは直前までしりませんでしたが、デジステ平野さんのtweetで告知あり、これは行かねばと直感に従い幕張メッセに。NO NUKES 2012は7月7日と8日に幕張メッセで行われた脱原発のメッセージ発信のイベントです。

前日は渋谷で反原発デモ行進と出くわしていたので、そういう感じなのかな?と思っていましたが、モダンなライブフェスの様相で何とも不思議な感じ。そうそうたる方々がステージでパフォーマンス。

個人的にはacidmanさんが好きなんで、前線での戦い。緩急のある選曲。でも圧巻はやはりBRAHMANさん。Thoshi Lowさんは真剣に地震や原発の事考えているのだなという事が伝わってくるパフォーマンスとMCで真っ昼間ですが大盛り上がり(だったはず、こちらも前線にいたので後ろはよくわからず)。カッコウィイ。思わず手を合わせてしまう始末と衝撃。終わったあともブースで黙々と協力をあおぐパフォーマンスをされていました。合掌と後悔と。ああ、進んでらっしゃる!

 

以前、サヘル・ローズさんや伊勢崎さんの対談とかで思ったのですが、チャーミングに世の中を変えようという考えかたに通ずるとおもうのですが、なんだかもじもじするんではなく、すかっとしたイベントだなぁとおもい、参加して本当によかったと告知をしていただいたことに感謝。

さて、もどってから、USTでも中継をしていたということで見てみると、双葉町の井戸川町長と映画をとった舩橋監督とのトークライブがあるということで見てみると、被爆量検査が十分に受けられないとか、根拠の不十分な言論が流布されているとかといった、全然しらなかったことが伝えられていました。こちらも知らないことで、驚愕。こういう事を同時に企画してできるということに、このイベントのすごさを感じた次第です。知らないではなくて、知っていかなければならんぞこれはという思いを新たにしました。

話は前後しますが、やはりちょっとライブイベントを通じて、デザインという領域においてこのままではいかん!と思った事が発起人の一人である坂本龍一さんのYMOのパフォーマンスでありました。ステージ後方のスクリーンに東京電力のロゴマークが登場した瞬間に歓声があがりました。現在、東京電力というのはそはある意味では憎むべき対象となってしまっているということはあるなと感じざるを得ないです。

法人としての東京電力の対応は問われるべきであるし、非難されるべきだと考えます。しかしながら、働いている人全員を非難したり、対話するチャンネルを閉じてしまうことは問題解決にならないとおもいます。なので、拒絶するとか排除するではなく、冷静に批判したり対話をするというスタンスは忘れてはならないと思います。

また、ロゴデザインはグラフィックデザイン会では高名な永井一正さん。現在、東京電力のロゴは災禍のシンボルのように扱われるのは心外であろうとおもいます。しかしながら、大きな企業や組織のロゴデザインというのは、良いにせよ悪いにせよ、そのような責任を必然的に負ってしまうということです。カタチという一目で理解できてしまうコミュニケーション形態である以上、世論によってシンボルの意味するものが変わってしまうことを全く理解した瞬間でした。

故にデザインは恐ろしいです。それだからこそ、デザイナーはデザイン対象と真っ向勝負しなければならないと背筋が凍りつつ伸びる次第です。その姿勢、真剣さとか、しなやかさとかチャーミングさとか、そういうもの。USTの平野さんをみると、ほんと伝わります。ぜひ、ご覧ください!

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ウランに首ったけ

原子力関連の投稿ばかりではありますが、今回もまた原子力関連。
以前、ウラン採掘についての投稿を行いましたが、ウラン鉱山についてのドキュメンタリー映画をやっていたので観に行きました。

タイトルは「イエロー・ケーキ ― クリーンなエネルギーという嘘」。
イエローケーキといってもレモンの生地のおいしいおやつではなく、ウラン鉱山から採掘され精錬されたウラン生成物のこと。黄色いフレーク状態の物質で、ウラン取引ではこの化合物の重量単位で取引されているそうです。

映画はウラン採掘に伴う鉱山、これがどのような状況におかれるのかを、ドイツ、ナミビア、オーストラリア、カナダの鉱山を取材したドキュメンタリーです。センセーショナルな内容ではなく、そして私の感想にもオチがないのですが、原子力に関する知らなかった事実を知るにつけ、また一つ目からウロコがとれた気分です。

さて、ウランは鉱物資源なので鉱山から掘り出してくるのですが、採掘に伴う残土や廃液の問題があります

残土が生じる理由としては、ウランの塊で世の中に存在している訳ではないため。鉱山といっても、鉱石中にまばらに存在しています。
http://www.tepco.co.jp/nu/knowledge/cycle/index-j.html

掘り出した鉱物から0.01%から0.25%ほどのウラン酸化物が採れるということです。ま、0.1%とすると、100kgほって100g採れるsという計算です。もちろん、このウラン酸化物を転換と呼ばれる処理をして濃縮を行い、としていくと、有用なウランの量はどんどん減っていきます。その分廃棄物もどんどんでてきます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Uranium

その過程でウランの残土が発生し、また、精錬時には硫酸に溶かしたりするそうですが、廃液が生じます。基本的には、廃液は処理はしますが鉱さいダムとよばれるため池に放流される、、、ということだそうです。ウラン採掘によって健康に悪影響を与える可能性のある環境汚染が発生します。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=04-04-01-04


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ウラン採掘によって鉱山周辺に問題が生じます。で、この鉱山を追って映画ではまずドイツからスタート。知らなかったのですが、ドイツにはウラン鉱山があり盛んに採掘がされていたそうです。時は冷戦下で、ソビエトの影響にあった東ドイツの南部にWismut鉱山があり、核兵器等の製造のためにウランが利用されたということです。

こちらは、冷戦終了後、閉山されたそうですが、環境回復のため残土を穴にもどすとかダムの廃液が地下水に溢れたりしないような処置をおこなったりといった閉山処置が現在になっても続いており、2020年完了を目指しているそうです。
そのための予算がドイツ連邦政府から拠出されているとのこと。

ちなみに、予算としては70億ユーロを計上しているそうです。日本円で7兆円。。。たいしたもんです。

http://www.wise-uranium.org/udde.html
http://www.wismut.de/de/
http://www.oecd-nea.org/ndd/reports/2011/uranium-2009-japanese.pdf


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ついでナミビア。ナミビアの鉱山は操業をRössing鉱山というところの取材。男女の雇用が守られていて、女子もがんがんはたらいています。働く場があるという意味で、経済的に豊かになり、希望を見いだすという一面もあるらしいです。
http://www.jaea.go.jp/03/senryaku/report/rep07-4.pdf


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オーストラリアの例では、ウラン鉱山が先住民の土地にあり、そのための政治工作などの歴史があったそうです。印象的なのは、洪水がきたらどうしようという話が映画中にでききたのですが、案の定、昨年2011年に洪水のため、レンジャー鉱山という鉱山が閉山されました。掘った穴にたまった雨が溢れそう、そして、その水を掻き出すすべを持っていないということがばれちゃったということだそうです。
http://www.abc.net.au/news/2012-02-01/20120201-era-profit-fall-ranger-uranium/3804916?section=business


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カナダの例では、かつてのウラン鉱山の鉱山街が描かれます。採掘の経済性の悪い鉱山が閉山になる例です。街の名はなんとウラニウムシティ。古い残された映像での街は賑やかで未来への希望があったのだけれど、閉山後は住む人も少ない街になっちゃったそうです。それでも、新たに採掘が始まる事を期待するひとも。。。
http://en.wikipedia.org/wiki/Uranium_City,_Saskatchewan

などと、ウラン鉱山の現在過去(未来)をかいま見る映画でした。個人的に印象的で考えたのは、コミュニケーションについてと建設重機。

コミュニケーションについて、調べ物をする過程で、鉱山跡措置に係る リスクコミュニケーションという資料が出てきて、そこはかとない違和感を感じました。

ウラン鉱山と聞くと、健康被害が真っ先に思い浮かびます。とはいえ、低線量の被爆なので急激な健康の悪化ということはなくて、ゆっくりと、通常の寿命や罹患のリスクに隠れてその影響がわからないのが実施。このリスクの説明って、どうやってもやっぱり難しいとおもうのです。まずは、その説明って、ちゃんとできるのだろうかという疑問。

もう一つは、穴を掘るんだからきっと土砂がでるんだろうとは想像できますが、精錬のために、廃液が大量にでるってことは今まで全然しらなかったと。これも、知らされるのかどうかわかりませんが、少なくともウラン燃料の利用者たるわれわれも知らないこと。負の側面である、廃液と環境へのリスクというものを、知っておくべきだし、知らせてほしいものだとおもいました。

なおかつ、価値観や文化の違う先住民の人たちにリスクの説明を行って合意形成を行うには、どうすしたらいいのか。難しい問題です。また、自分の住んでいるところに鉱山ができたり、あるいは、友達が鉱山で働くと言い出した場合、自分はどう振る舞うだろうかというのも、想像するになかなか難しい。

だから、これらリスクを説明して、なおかつ、鉱山開発を進めるように人を説得するっていうのは、一歩間違うと、どうしても騙しのテクニックの事になるのではないか、と考えられます。そうならないための信頼関係構築のためには、どのような施策なり、ビジョンなりを描けるのか、という課題が改めて想起されます。

出典 http://www.mining-technology.com/projects/rossingsouth-uranium/rossingsouth-uranium2.html

次に重機なのですが、鉱山開発や閉山処置では、やらたと黄色い巨大重機が映像に登場します。(写真は青いけど)CATの文字があるものや、KOMATSUの文字があるものやらが目につきます。これら重機メーカはなんの関係もないと言えばないのです。が、たとえば閉山にあたって穴を埋め戻す際にトラックを使う際、トラックを動かすために大量の化石燃料を消費する結果となります。原子力でクリーンなエネルギーが得られるならば、採掘にあたってのエネルギーもまかなえばいいのに、そうならないところに、矛盾を感じざるを得なかったり。

また、鉱山開発と重機メーカの関係は深いものがあるのかなと勘ぐっちゃうこともあります。リオティントという資源メジャーと、コマツが共同で奨学金を創設しています。これ自体は歓迎すべきことなのですが、どうして別々じゃなくて共同にする必要があったのか?と思うと、ウラン採掘で協力しているよね、といった理由がおもいつきます。
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/2011/06/press20110607-02.html

などと思う事はあるのですが、単に原子力発電に関連するところを見ていくと、全然未来じゃネェやという泥臭い部分がぽろぽろと発見されます。好きとか嫌いとかに関わらず、知らない事がまだまだあるという実感。サプライチェンに頸城をうたなければ、原子力をもう一度冷静に考え直すこともできないのではないか、そう思います。

そんな事を考えていれば本日、イランがウラン濃縮技術を自力で開発したと報道がありました。
世界はやはり、ウランに首ったけ。

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