東と南の間のアジア その3 ベトナムと日本、勝利と敗北

ベトナムは一人旅、とはいえこちらも日本語観光ツアーに混じって観光したりしてたので、存外にスムーズ。しかしながら、街の中は疲れるなぁというのが所感ではありました。

ベトナムの町中

ホーチミンの市内、バイクバイクバイク

1. 戦争証跡博物館、作戦博物館、クチトンネル
戦争にまつわる博物館や観光地にいってきました。ひどい戦争だなぁというのを改めて思います。一方、へんな感覚ですが、ベトナムはひどい目にあったけれど最終的に勝った、という一点において、戦争をして負けた日本とは異なるぞと思いました。

まず、戦争証跡博物館。胎児のホルマリン漬けとかがありまして、衝撃の内容となっております。ベトナム戦争については調べ物をしてはいましたが、残虐な兵器がいくつも使用されたというのが実はそれ以前の戦争と大きく異なる点じゃないかと感じました。
すなわち、イメージする戦争というのは、爆弾や鉄砲という武器を使ってどんぱちというもの。ベトナム戦争ではそれに加え、枯れ葉剤、クラスター爆弾等が用いられたらしいです。
枯れ葉剤については、奇形児が生まれる等、その瞬間だけではなく、後年にわたって人体に悪影響をもたらす事が知られています。先ほどの胎児の遺骸もその影響のあるもの。
また、クラスター爆弾は見た事が無かったんですが、羽のようなモノが生えていて、黄色い色をしていたり。ちょうどお手頃な缶詰のように見えます。アフガニスタンやイラク等で不発弾を子供が触って爆発するという事故が起きている、という事がようやく腑に落ちます。

戦争証跡博物館の爆弾

奥がクラスター爆弾?の展示。黄色で羽

次に作戦博物館はマイナーなのか人があまりいなかったのですが、 先ほどの戦争証跡博物館とは異なり、如何にゲリラ戦を戦ったのか、また、指導部がどのように振る舞ったのかが展示されています。はっと思ったのは、日本で戦争にまつわる遺物などは、基本的には負けた戦争のモノが多く、それを通じて戦争はいけないという反省を促すものではありはしないかと考えました。
一方、勝ったベトナムは如何に勝ったのか?という成功した理由を説明することで、次回の侵略にも耐えるぞという意識を醸成できるのではと考えました。良いのか悪いのかはその国や地域によってことなるでしょうが、負けない方法を考える、備えるという観点は、当たり前と言えば当たり前ですが日本で生活する限りは考えません。

ミサイルと結婚パーティ

ミサイルの展示の横で結婚式だかの準備進む。めでたい場所なのかな

最後にクチトンネル。地下トンネルでゲリラ戦が繰り広げられていた場所を今では観光することができます。トンネルでの生活や武器の製作方法、また、ジャングルでのトラップ等が展示されており、ゲリラ戦の戦い方がわかります。厳しい環境で戦ったのね、ということがよく伝わってきます。が、これも先ほどの例じゃないですが、勝った戦争であるからこのPRがさらに効果がある事が理解できます。
洞窟で思い出されるのは、渡辺謙が出演して話題となりましたが、「硫黄島から着た手紙」という映画。島内に掘られた洞窟で持久してそして最後は負ける、という悲惨な現実が描かれています。沖縄もそうですが、逃げ場の無い洞窟内で自決等という寂しい歴史が日本ではおなじみです。
ベトナムは、厳しい環境でも耐え忍びを耐えて勝ったという歴史があります。だからこそ、これら戦争にまつわる遺物を遺構を整備し公開をしているのだろうと考えます。

クチトンネル内部

クチのトンネル内部、狭い、くらい。。。

欧米の観光客もたくさんこれらの施設にやってきていました。これをみて反省を促す効果もありますし、いろいろな感情も起きるだろうと。これ見た上で、もう一回戦争仕掛ける気はあるの?と問われればそうは思わないだろうと考えます。いわば一種の安全保障としてこれらの観光施設を意図していると私は考えました。
ベトナムの人たちの聡明さと、堅実さ、タフネスを実感した次第です。

2. バイクタクシーのおっちゃん。
かなりしつこく客引きされます。また、それ日本で道ばたで言ったらぶっ飛ばされるぞという言葉をしゃべるおっちゃんもいて非常に残念。で、客引きされても絶対のらねぇよ、というとじゃあいいよと世間ばなし。
そこでおもしろいなぁと思ったのは、日本と中国との関係について。最近は日本と中国が険悪じゃない、とか、日本は強い武器をもっていていいねとか話題にでました。
というのも、中越戦争でベトナムと中国はかつて戦争をしているとともに、離島を中国に占領されている状態にいます。つまり、尖閣諸島問題に近い状態を既にベトナムは経験済みであり、かつ、現在進行形で問題になっているわけです。
西沙諸島
南沙諸島

日本にいても、日本と中国、という2カ国で話をすると息が詰まるのが正直なところです。しかしながら、アジアに目を向けると日本に共感を持つ人もいるんだなと、実際は当たり前な事かもしれませんが気づかされました。
実際に問題を解決しようとするなら、案外周辺諸国と一緒に議論をした方が生産的なアイディアが生まれそうに思います。

バイクタクシーに乗ると

バイクタクシーからは多分こんな感じで街が見えます。

3. マクドナルドは無い、フォーはうまいしニョクマム好きかも。
ちょっとハンバーガーでも、と思ったのですが、マクドナルドは見つけることができませんでした。そのかわり、ロッテリアは大きな交差点の辻に建っていて結構便利で目につきました。ロッテリアは韓国資本なので参入しやすいのかなぁと思われました。
また、ベトナム料理ということでフォーも食べてましたが、これは安定のお味でありがたい限り。また、ベトナムのお醤油のニョクマム。これ、食わず嫌いでしたが、ニョクマムがかかったご飯が出てきて普通にうまい!と思った次第です。

ベトナムのアイスコーヒー

ちなみにベトナムのアイスコーヒーは氷を溶かしながら。この後、私お腹を壊しました。。。

4. 通信
スマフォでの3Gデータ通信はOKでした。詳細はこちらにどうぞ。あと、海外であんまり電話使いたくなかったんですが、リコンファームのために電話。面白いとおもったのは、郵便局で電話ボックスのようなモノがあったので、使い方を聞いたところ、後払いと言われたこと。話し終わったら時間の分だけ精算でした。ということは、絶対盗聴可能やんけ!と思った次第。

ホーチミンの郵便局

郵便局です。左手にTEL BOX。料金は左のカウンターにて支払い。3000ドンぐらいだった。

5. 町並みと経済
町歩きをしてみて思った事。探せばあるんだろうけれど、欧米系ブティックはあまり目にしませんでした。デパートにはそれなりのショップがありましたが、なぜか最上階にボーリング場があって10年以上前の日本のアーケードゲーム機がおいてあるなど、なかなかにカオスな様相。当然ながら消費が無ければ進出する理由がないので、まだまだ豪奢なモノを買うような水準ではないのであることが理解できます。
書店。町歩きで本屋さんで本を眺める、デザイン系の本を探すというのをしばしばやります。が、デザイン系の本が全然見当たらない。ここでのデザインはグラフィックやプロダクトのことですが、意匠に関する情報がまだまだないことを見ると、一般にその需要が喚起されるに至っていない事が理解できます。ちなみに、工学系の本はそれなりにそろっているんですが構造計算の専門書とか。学問的には底力の充実を計っているのかなと考えます。
最後にハプニングとしては、停電に遭遇した事。全市停電とかではなくて、一区画で停電が起きただけですが、お手洗いの電気が付かなくて真っ暗闇で窮しました。みんな備えをしているらしく、停電時には発電機をまわす光景がちらほら。これくらいが当たり前かなと思います。

書店の文具売り場

書店の文具売り場にホーチミンおじさん!の胸像が。

6. 日本人のちらほら
観光客の方たくさんいるので、道を歩けば日本人の方とすれ違います。
で、前述の戦争証跡博物館、戦場カメラマンのコーナーがあるんですが、日本人カメラマンの展示もかなりのスペースがありびっくりしまいた。
またトリガーとなった人、石川文洋さんはご自身のコメントが載るとともに、ベトナム戦争と当時の生活が伺えるような、他の人の写真とはまた異なるテーマ性の写真が多く展示されているようでした。ベトナムにおける石川さんの写真が重視されていることが伺えます。
ちなみに、この建物の外にあるベンチはほとんど日本からの寄贈のモノで、贈り主の名前などが刻まれています。日本の人は、ベトナムへの関心が高いということが理解できます。

沢田教一コーナー

こちらも影響を受けた沢田教一さんコーナー

以上、駆け足で(実際駆け足で巡っただけなのですが)ベトナムにおける所感です。ベトナムと日本との関わり、無いようで有るような、いろいろ感じた次第です。
個人的には、石川文洋さんの本がきっかけのベトナム、そしてベトナム戦争を経て戦後復興と貿易取引としてのおつきあいなど、やっぱり好きだなベトナムという感想です。
ただし、経済的にはまだまだ発展途上である事はぶらぶらしていると感じます。いきなりですがデザインの観点からは考えられるのは、日本のグッドデザイン制度のこと。グッドデザイン賞は、日本が貿易立国として海外へ輸出する際に推薦できるモノであるという印の機能も持っていました。これができるのは、自国内の産業が自前で製品を計画し生産ができることが条件となります。ベトナムはまだ自国内の産業を持ってして輸出できる環境はまだ十分には育っていないのだろうと考えられます。豊かな穀倉地帯を有するベトナムは、第一次産業が貿易の要ではありますが、経済の観点からはいずれ高付加価値品の生産も手がけるようにならざるを得ないでしょう。それは食品加工かもしれませんし、工業生産品かもしれません。輸出政策を展開する際には、グッドデザイン報奨制度は、日本が貢献し、ある意味では輸出できる仕組みかもしれないともやもやと考えます。

もう一つ、いろいろ書きながら思ったこと。個人的にはなぜベトナムに惹かれるのかというと、小さな時には単純な冒険の地としてのジャングルや戦場だったりに意識が向いていましたが、実はアメリカに勝った国という事実が理由の一つとして挙げる事ができるんじゃ無いかと考えています。当時は私は生まれていなかったんですが、ベトナム戦争への道義的な反戦活動が行われていたと読んだことがあります。これは、反戦とは言いますが、代理戦争の観点ではなくベトナム民衆戦争としてアメリカに立ち向かい、そして勝つ事に対して側面から支援をしている事にもなります。
敗戦を経験し、また、戦争放棄を謳い米国の安保条約を結んでいる日本。ベトナム戦争は一義的にはアメリカを支援せざるを得ない。しかし、ベトナムが負ける事は、すなわち、日本の敗戦と重なる光景でもあったでしょう。実際のところ、負けたくはないのが人情というもので、できる事なら太平洋戦争でも勝ちたかったであろう。その時。心情的にはベトナムに勝ってもらって恨みはらしてもらいたいという感情も有りえます。日本人がベトナム戦争に反対すること、そして、ベトナムを支援してきて、これからも支援する気持ちもあるとうのは、実は太平洋戦争での日本の敗戦に対する代償行動なんじゃないかなぁと、今考えています。
これは書きながら思いついたことでもあり、なんというか、書きながら、おおっと感じた次第です。負けないってすごい!

補足:最近ですが、ベトナム戦争をテーマにしたマンガがあります。ディエンビエンフーというタイトル。ファンシーな絵とは全く裏腹な残酷描写がいっぱいではあります。が、ベトナムの戦争とはなんなのか、ベトナム戦争以前1000年前のエピソードも出てきます。これを読むと、ベトナムが負ける分けない、などとやっぱり思います。オススメです!

そういえば読んだ本と思ったら、それなりに読んでいた。感謝合掌。

東と南の間のアジア その2 マレー思案

まずはマレーシアから
マレーシアは知人のN君が赴任しているという事で、すごく快適!な旅行となりました。改めまして感謝感激。
で、その結果としてなのですが、マレーシアで働く日本人や、その暮らしというのをかいま見ました。気づいた事思った事をいくつか。

マレーシアの建物を社内から

マレーシアの建物を社内から

1. 都心は先進
どんな街なんだろうとおもったら、拍子抜け。スタバもZARAもiPhoneも、すべてあります。日本で生活するときに必要だったりイメージするものはほぼ手に入りそうです。それに、ショッピングモールも、ここはヒルズかららぽーとか?と見まごうようなもの。
もちろん、地方に行けばこれらは無いのだろうけれど、欧米の人が欧米の生活スタイルのまま、マレーシアでは暮らす事ができると思います。リタイア後の移住先としてマレーシアに住む人が多いとは聞いていたのですが、全くなっとくです。

マレーシアのユニクロ

もちろんユニクロも。柳井先生!

2. イスラム国だ。
イスラム圏とは知ってはいたのですが、入国時から、やっぱり!と。入国審査ではチャドルで目しかだしてない女性の方とか普通にいて、まずは膝を打ちました。
また、現地では主に自動車で移動をしていたのですが、パーキングエリアのような場所には、決まってモスクというか礼拝所が併設されています。公共施設としての位置づけなので、国家が支援をしていることがこういうところでも理解できます。
イスラム美術の博物館にもいったのですが、自国の文化を象徴する文物として美術品を位置づけているのも、イスラム国家だと理解できました。そして、お酒がお高いのも、イスラムだな、、、と。

空港内のお祈りスペース

空港内でのピクトグラム。お祈りしてますね、あ、でも台湾、、、

3. とはいえ多民族国家
N君によると、マレー系民族と、中華系の民族、華僑系の民族がいるらしく、街をあるいてももちろん、顔つきや皮膚の色、着ているモノなんかも全然ちがいます。それとあわせて、ちょうど統一記念日みたいなのがあったらしく、カーラジオやテレビからは意識統一のスローガンや唄、映像がちらほらみられました。
さらに面白いなとおもったのは、日用品。長距離バスターミナルをぶらぶらする機会があったのですが、キオスク的なお店に、”kedairakyat 1MALAYSIA“のスローガンの入った食品やシャンプーやらが売られていました。きっと旅のおやつやお土産なんかに購入されことを見越して地方に意識を伝達しようとする広報意図をびしびしと感じ、また、マレーシアの国の重要政策の一つがこの民族問題なんだろうと感じた次第です。

malaysiaoneブランド

malaysiaoneブランドでいっぱい

4. 食事 パンミーうまい、そしてカーネルサンダースおじさんすごい
食事はあたりはずれがありましたが、N君おすすめだったのが、パンミー。これはうまい!煮干し的なのがのった麺料理なのですが、その出汁がなんともおいしいです。これ、また食べたいです。
あと、今まで浅はかだったなぁとおもったのは、ケンタッキーフライドチキンの存在。日本にいると
、カーネルサンダースおじさんのところでそんなにみんな食べたいのかなぁ?とおもってました。
つまり、選択肢の一つとしてそれもあるけど、程度のブランドとチェーン店。
でも、世界でみれば。そういう事ではないんですね。宗教上の理由から、豚肉を食べれないイスラム系の人、同様に牛肉を食べれないヒンズー系の人々など、他民族国家でじゃあ一緒に食べれる肉料理はなにか、それが鳥なんですね。
マクドナルドも普通にありますが、宗教を超えてグローバルスタンダードとして歩があるのは実はカーネルのほうだったのか、と膝を打ちました。
ちなみに、そういう意味では、魚介もOKなので日本料理も参入の余地があるんですね、これが。

パンミー

こちらはドライパンミーという麺料理、うまい!

5. 通信は
現地では携帯つかってました。これも快適。詳細はこちらのブログで。

5. LCC
昨今、日本でも話題になってますが、Low cost carrierの一つであるAir asiaを利用して出国しました。ターミナルまでは、クアラルンプール中央駅から黄色い方の高速バスで移動しました。だだっ広いところにカウンターがあるんですが、必要十分。
現地感覚ではわかりませんが、いつでも数千円で隣の国にちょろちょろ移動できるのはたいへん魅力的です。個人的には、このハブ機能を使うためだけにマレーシアに行く事はやぶさかではないぞというのが実感です。

バス乗り場

怪しいバス乗り場

LCCターミナル

どどんと広いLCCターミナル

などと、駆け足でしたがマレーシアをちょっとタッチした印象はこんなもの。都市部とその機能は先進諸国と同様にどんどん便利に快適になっているようでした。その一方、ヤシ畑脇のハイウェイを駆け抜けて郊外への観光やジャングルにも分け入りましたが、それはもう熱帯であり、マレー半島の原型があるのではないかと感じました。

ジャングルと私

一歩足を伸ばすとそこはジャングル


これらジャングルの風景は、おそらく60年前の日本人も見ていたのかと思うと感慨深いです。
その上でおもうのは、当時の人は戦闘のため生命の不安があったり、占領することによって暴挙を行ったりしたのかもわかりません。が、暮らしてみて案外この場所いいかも、と思ったんじゃないかと想像してます。そして生活してみて、現地の人とコミュニケーションをとる事で、新天地を見いだす人もいたのではないか、と感じました。
ほとんど赤道直下でありながら、思いの他、近さを感じる国です。


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東と南の間のアジア その1 イグニッション

Flight

台風まっただ中のフライトでしたよ

マレーシアとベトナムに行ってきましたよと。

とはいえ、帰って来てはや一ヶ月がたってしまいました。なぜマレーシアとベトナムなのか?というと、日本とそれぞれの国の戦争にまつわることでずっと関心があったから。ちょっとでもその土を踏み空気を吸ってみたかったのです。結果的には観光をしてヒャッハーとなってただけなのですがね。

なんで2カ国?
まず、マレーシア。太平洋戦争時に日本軍の真珠湾攻撃と時を同じくして上陸作戦が敢行された事が知られています。要は侵略者としての日本がかつてはそこにあった訳です。その作戦にいわゆる戦闘員だけではなく、諜報員も関わっていたと以前読んだ本に記述がありました。
陸軍中野学校というのが、諜報員教育を行っていた組織なのですが、本を読んだときのイメージが鮮明に思い出されます。
時代がそうさせたとはいえ、日本人でありなが、海を越えてはるばるマレーシアにまでいってどんな風景を見ていたのだろうか、という素朴な疑問がありました。

ベトナムは、「シャッターチャンスはいちどだけ」という石川文洋さんの本を小学生だか中学生だかのときに読んだ衝撃から。
何をどうという詳細は全くわすれてしまったのえですが、日本人としてベトナム戦争に従軍して戦場の写真を撮るというのはなぜなのか、また、ベトナムという地で戦争が行われたのはなんだったのか、ある意味では通学路で飛び交うアキアカネの群れや、テレビで聞こえてくる標準語のドラマとは次元が違う世界が外側にあるぞと揺さぶられたきっかけでした。

この要に、グローバリズムに目覚めてなどというかっこいいものではなく、あくまで日本人の行動と東南アジアの国々との関係に対しての興味というのがありました。で、ようやくかよと。で、さらに昨今のこのblogの記事からわかるように、東南アジア諸国と原発についても考えます。という訳で久しぶりに連日投稿となります。


時間とオメガと核変換

消滅処理の参考図

古い文献からの参考図

1. 時間について
911から11年が過ぎ時間は何かを解決したのかなと思ってみたり。時間でしか解決できないことの一つとして、放射性廃棄物。

放射性廃棄物の影響が半減する半減期は、放射性物質それぞれ異なっており、何万年や何億年にわたるものもあります。そのため放射性廃棄物処理は子々孫々にわたるまで影響を及ぼしてしてしまう。これが原子力に関わる以上さけて通れず、また、時間の流れとともに移ろう物理的に定められた宿命であると。

以前取り上げましたが、最終処分にあたっては地層処理といって、数百年数千年と放射性廃棄物を頑固な地盤の地中深くに埋没させることによって管理、あるいは、放置するという事が核利用をしている各国によって計画実施されつつあります。

が、左にあらず。時間しか解決できないと思われる事を、人智を持ってしてなんとかしてる事が可能であるらしいです。
それが、オメガ計画と呼ばれるもの。時計じゃないよ、都市伝説だよ、とも思っちゃう命名ですが、国主導で計画されていたたいそうまじめなプロジェクトです。(じっさいは、現在進行形なのですが、とんと話を聞かないのです)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オメガ計画

2. オメガ計画っていうか、そもそもなに?
具体的にはどのような計画であるかというと、放射性廃棄物を分類し、有用な物質を取り出し、また、超寿命の核種を物理的操作を加える事によって、短寿命の物質に変換させることによって、廃棄物量を削減し、また、社会に与える悪影響を減少させる技術を開発し実用化しようとするものです。

そんな事できるのか?という疑問が湧く訳ですが、そもそも原発でエネルギーを取り出す操作は核分裂反応を利用しています。すなわち、ある物質を違う物質に変換しています。この結果として、質量数235から統計的な分布にそって、ストロンチウムやセシウムといった質量数の異なる物質が生成されています。

素朴な発想として、結果としてでてきた放射性物質をもう一回分裂させるなり何なりして別の安定した物質に変換する事はできないのだろうかと考えます。このことを核破砕反応と呼び、その処理を核変換処理と呼びます。また、こういった処理は消滅処理とも呼ばれていたのですが、ちょっと言い過ぎじゃない?ということでこう呼ばれています。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=05-01-04-02

より詳細に説明すると、原子炉内の燃料が燃えつきた使用済み燃料由来の高レベル放射性廃棄物は大きく二つに分けられるそうです。一つは、核分裂性生成物。これは、ウラン燃料等が分裂した事によって生まれる物質です。もう一つは、マイナーアクチノイドと呼ばれる物質で、ウランやプルトニウムが中性子を取り込み崩壊する事によって生じます。

これを実現するにあたって、例えば高速増殖炉を使った方法や加速器を使った方法が検討されてます。どうやら、核物質もどうにか処理できるんでは無かろうかと思えてきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/原子核変換

3. 夢のような技術、で実現は?
この処理を行うにあたって、高速増殖炉をつかって中性子を得ようとした場合、臨界状態になるため原子炉稼働になります。また、ナトリウムといった反応性の高い物質を冷却剤として使い、まだ実用化にほど遠いのが現状。
また、加速器を使った処理を行うには、陽子を加速するなどするには、それ自体で莫大な電力を使うので、その発電はどうするんだ?みたいな状態になります。また、概念設計では液体ウランをつかう、陽子がばんばんあたる、といった環境の中を耐える材料というものがまだない、という状況です。
研究は進んでいると理解できますが、実用化のめどはほとんどたっていない、というのが実情でしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/加速器駆動未臨界炉

4. しかしながら
以上の状況から、やはり現実は放射性廃棄物と共に暮らすというのはやはり変わらない状況です。また、昨今のエネルギー政策では、今後の原子炉の稼働期間に制限を付け新規配置は行わない、とするとか。さらに、日本学術会議という、学術経験者や有識者からは、放射性廃棄物の何万年にもわたる地層処理はどうなるかわからないのでやめたほうがいいよ、と提言されたそうです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120909/k10014891591000.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG1003J_R10C12A9EB1000/
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-k159-1.pdf

危険性があったことは認識済みで運用してきたにもかかわらず、自然エネルギーへのシフトなどのエネルギーの問題に誘導しようというのが個人的には納得がいきません。問題は安全の回復であって、原子力から撤退することで、核廃棄物処理の技術開発からすらも撤退する結果になりはしないかとハラハラしています。廃炉する方針であるならば、廃炉に伴って生じる核廃棄物の処理について、最大限何ができるかを同時に検討する事を織り込まないと話にならないのでは。

また、日本学術会議からの提言は、政策の検討をするにあたって、ようはコミュニケーションをとりましょうということなってます。ところが、原子炉を止めて研究できるかといったら有力な中性子線源となる原子炉を止めるわけには行かないし、加速器の電力を火力や自然エネルギーで十分まかなえるのかと行ったおそらくまかなえないはず。本来は放射性廃棄物処理の研究のためには原子炉必要と言わざるを得ないのでは?と思います。が、そうは言えないのではなかろうかと伺えます。

5. だからこそあえて反脱原発なのでは
そうすると、あまのじゃく的ではありますが、やはり、ここまで原子力推進をすすめ、そして福島の事故を経験し、かつ収束処理まで手がけるようになってしまった日本は、世界に対してどのようなスタンスを示すか正念場だと考えてます。
だからこそ、人類が手をつけてしまった原子力とそれに伴う核廃棄物処理について、真剣に問題解決をしようとする姿勢をしめし実行するべきなんじゃないだろうかと考えます。私は商用原子炉の大部分を止めるとしても、本質的に脱原発には反対します。もはや抜けれる訳が無いだろうと。

発電という利得を求めた技術開発から、人類の安全を守るような強固な技術開発を進めるべきでは無いだろうかと思います。よって、武力や経済利得といったパワーを求める核技術から、核のパワーに立ち向い安全を確保する技術開発に国力をつぎ込んではと。ちなみに、昨今話題になる東アジア情勢ですが、大規模な加速器等の実験施設を運用しているのは東アジアでは日本がやっぱりダントツ。国際的に名誉ある地位を保たんとするならば、こういう戦いかたがあるんではなかろうかと。

などと熱くなりますが、いかんせん、調べものの結果みつけた加速器でかい!かっこうぃい!という単なる男子的発想なのかも知れないと思いつつ。しぶとく11年も1年半も過ぎる時間に思いを馳せる秋の夜長です。

大飯高浜マンション

高浜

海から眺める原発

ニッポンの夏、ということで、仕事がお休みのかたがいらっしゃるかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?

とはいえ、そんなところで原子力関連のモノゴトを個人的興味に基づいて調べごと。今回は外回りです。ちょっと遠いぞということで行く機会を逸していた、福井県の大飯原発、高浜原発あたりに行ってきました。

以前、敦賀半島を一周し、敦賀原発、美浜原発、高速増殖炉もんじゅはどこにあるの?を調べてみましたが、今回はより西のほう、京都府に近い原発です。

大飯原発

大きな地図で見る
場所はこちらです。再稼働に揺れ、盛んに報道をされていて現在どうなっているんだろう?!とドキドキしつつ、実際どうなっているかは調べずに行ってみました。

大飯

大飯原発前は静かなもんです

で、結論からいくと、だれもいない。。。稼働中だからこそ監視する、という人がいるのかな?とも思ったのですが、警備の方がいらっしゃるのみ。附属の広報施設があるのですが、これも臨時休館でとにかく敷地内には立ち入れない。周辺の山道ですら警備の方がいらっしゃってどうやら立ち入れないなぁというかたちでした。

また、行ってわかったのは、陸地からアプローチしても大飯原発の原子炉建屋は外部からは全く見えない。ということでした。少し離れた入り江の海水浴場からも、伺い知る事は困難。

また、あらためて地図を見ると陸からのアプローチはトンネルを抜けないと行けないようなつくりになっています。一体どうやって建設したんだろうか、と過去の建築工程表をさかのぼりたくなる気持ちでいっぱいです。

高浜原発

大きな地図で見る
大飯原発から次は高浜原発へ。地図はこちら。見ていただくとわかるのですが、入り江を挟んで西の反対側、直線距離にすると10kmほど離れたところにあります。ここも見づらいのかな、とおもったのですが、以前の敦賀原発に続く衝撃。

高浜橋の上

テンパってますが取水口の上を走ってます。

取水口の上の橋を通れます!一般道から直線距離で100mほどでしょうか、原子炉建屋を視認できます。

また、ちょっと離れた停車場からも発電所が見えるので、原子炉マニア?にはかなりぐっとくるものがあるのではないでしょうか。直接関係はないのでしょうけれど、保税用のエリアのある湾口もあるので、僻地感がそれほど無いです。身近に感じた方がいいのかわるいのかはわかりませんが、高浜原発は巨大プラントを間近に感じるにはうってつけな場所だなぁと感じた次第です。

門の前

高浜の前

ちなみに、こちらは附属するような広報施設が近くにはなく、純粋に発電プラントとして立地しています。

ここに移動するにあって、道路を眺めていても、やはり放射線量が確認できるような装置は一カ所しか見かけなかったです。見落としがあるのかもしれないですがやはりちょっと少ないように思います。

思うところ
そして、やはり今回も思うのは、原子炉までの交通アクセス。道が一本しかないために、緊急時の移動の際に道がつぶれたら終わるぞ、という感想。そのため、海上からのアクセスはどうなるかと考えます。高浜原発の場合、比較的大きな港湾施設がありますが、大飯原発は所内の港湾施設のみ。
google map の航空写真を見ると、ヘリポートとして利用できそうな空き地が大飯原発には確認できますが、一方高浜原発はヘリがおりれそうな空き地がちょっと離れたところにあります。緊急時のアクセスが不安で仕方が無いです。

ちなみに、緊急時というのは、なにも自然災害に起因する訳ではなく、ある意味ではアクセスが良く、また人のいないところで海に開けているがために、テロ行為や犯罪が行われた場合の警察力や防衛力の行使が困難であるぞ、ということもあります。

福島第一の場合は、開けた土地に立地しているために、南北そして西から多様にアクセスができますが、若狭湾に面した原発群に関しては、本当に片側1車線の道があるのみ。大量の車両や重機を一気に陸上移送することが困難だろうと推察されます。

ミスリード
で、じゃ重機はと重機と調べ物をしていたところ、奇妙な写真を見つけたので、ご紹介。関西電力からリリースされている資料なんですが、写真になにか違和感。

こちらは、福島第一原子力発電所事故を踏まえたシビアアクシデントへの対応に関する措置に係る実施状況(概要)という資料。事故の際にがれきが散乱して作業が難航した事から、ホイールローダという重機を配備した、という報告書。写真は美浜発電所の例とあります。
http://www.kepco.co.jp/pressre/2011/0614-1j.html
http://www.kepco.co.jp/pressre/2011/__icsFiles/afieldfile/2011/06/14/0614_1j_01.pdf

で、こちらは、高浜発電所2号機の安全性について(安全確保対策とストレステスト評価) [PDF 2.75MB]という資料。こちらもホイールローダーの記載があるのですが、どこに配備されている写真なのかは記載がない。高浜原発の資料なので、高浜原発での写真かと思ってしまうのですがそうではなことに。
http://www.kepco.co.jp/pressre/2012/0803-1j.html
http://www.kepco.co.jp/pressre/2012/pdf/0803_1j_02.pdf

関電資料に同じ写真

あれ?

意図的なのかそれともちょっとしたミスなのかちょっと判断ができないですが、こういう資料を発見してしまうと、本当に安全対策を実施したのか、疑問に感じざるを得ないところです。

で?
こういった資料を発見し、また、原発敷地内で何が行われているのか窺い知れない以上、疑心暗鬼にかられるような思いでもあります。

ちなみに、ちょっと行ったところにある海上自衛隊の舞鶴基地では、見学も可能ですし、護衛艦を間近で見る事もできちゃいます。
原発を公共財として位置づけるならば、発電所公開といったことも実施する必要があるのではと思います。もちろん、だからといって私自身が原発大賛成になるかというとそういうことも無いんですが、実際どうなってるの?という疑問に対する答えが出ることが無いのがなんともぎこちなさがあります。

原発は、一度つくってしまった以上、稼働するにせよ、停止するにせよ、廃炉するにせよ、いずれにせよ立地している地域には、これからやっぱり何十年何百年とあり続ける事に変わりが無いです。ご近所付き合いと一緒で好き嫌いに関わらず、お付き合いしていく必要があります。
で、今回の結論としては、原発が核廃棄物の処理がままならないことからトイレの無いマンションと呼ばれていますが、お隣誰が住んでるかわからないマンションになってるのが原発の現状かと。